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記事一覧

津城③ ~伊勢は津でもつ~

高山神社から再び本丸天守台付近へ。本丸南面、天守台に隣接する埋門かつて本丸周りはすべて幅広の水堀で囲われており、東西それぞれ1ヶ所の出入口以外は外とつながっていませんでした。にもかかわらずなぜこの場所に門があるのだろう、と疑問に思い確認すると、どうやら堀に面して巡らされていた犬走りに通じる門であったようです。...

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津城② ~津藩32万石の居城~

現在の津市の古称は安濃津(あのつ)であり、平安時代より伊勢国政治経済の中心地となっていた。鎌倉時代は藤原南家の流れの工藤氏を祖とする長野氏が支配していた。津城の起源は戦国時代の永禄年間(1558年 - 1569年)に、長野氏の一族の細野藤光が安濃・岩田の両河川の三角州に小規模な安濃津城を構えたことに始まる。永禄11年(1568年)織田信長の伊勢侵攻により織田掃部頭(津田一安)が入城。翌年には織田信包が入城した。信...

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津城① ~藤堂高虎の高石垣~

藤堂高虎が近世城郭として大改修し、津藩の藩庁となった津城。現在も高石垣のほか、(完全ではないものの)高虎流の縄張りが残る城として知られています。今回登城を楽しみにしていた城の一つです。城のすぐ東側にある有料駐車場。本当は有料駐車場にはできるだけ停めたくはないが、市街地のど真ん中にあるにしては料金も安いのでまあいいか。目標は30分未満で一周すること!・・・ちょっと厳しいかな。...

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上津部田城 ~近代的施設の敷地に残る城~

三重県総合文化センターの敷地内に上津部田城という城があるという情報をもとに、現地へ向かう。近代的な建物が立ち並ぶ三重県総合文化センター 無料駐車場あり確認したところ城跡はこの建物の奥、県立図書館や男女共同参画センターの先の小山の上にあったのですが、結論から言うと、私はこの城の攻略に失敗しています。...

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沢城 ~神戸城に移る前の神戸氏居城~

r54「商工会議所東」交差点を西に進み、最初の道を左折(左手に焼き肉店舗あり)。そのまま南へ100m強進むと、水路脇に立派な石碑や説明板が設置されています。この付近一帯が沢城の跡地となります。城址碑と説明板沢城は亀山城主・関盛政の長子・関盛澄が、正平22年(1367)に築いた城で、亀山城(若山城)を本家に沢城、国府城、鹿伏兎城、峯城を分家とし、「関一党」を構成していた。城主は盛澄-実重-為盛-具盛と続き、代...

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神戸城 ~かつて5層天守が築かれた城~

近世神戸藩の藩庁が置かれた神戸城。県立神戸高校の敷地周辺一帯が跡地で、高校西側には本丸部分が公園となって残っています。公園用の無料駐車場に駐車し登城開始。本丸内にある城址碑...

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高岡城 ~信長の2度の侵攻に屈しなかった城~

四日市市の中心部からR1~r103伊勢街道を南下。鈴鹿市に入り、鈴鹿川を渡る手前の西側にある丘陵が高岡城の跡となります。高岡城は現在城跡公園となっており、上まで車で登ることができます。以下ポイントを掲載。高岡町北の交差点で西に入り、左手の丘陵が切れたところで左に曲がると、西側から南側に回る形で城への道が続いています。このルートだと写真の超鋭角カーブを乗り切る必要があります。実際は鈴鹿橋すぐ北の川沿いの...

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浜田城 ~赤堀三家の一つ、ルーツは上野国赤堀~

近鉄四日市駅の南西すぐの場所にある「鵜の森公園」が浜田城の跡地です。鵜の森公園 南側入口周囲をぐるりと一周しましたが公園用駐車場はなし(一通があるので注意)。やむを得ずコンビニの駐車場を借用してマッハで見学。もちろんコンビニで飲み物の補充もしておきました。...

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四日市陣屋 ~天領四日市の代官所~

四日市陣屋は、江戸幕府が天領である四日市を管理するために設置した代官所(陣屋)。現在の三重県四日市市北町に置かれました。陣屋跡地である中部西小学校正門脇に説明板あり。...

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西坂部城 ~「三日平氏の乱」で拠点となった城~

三重西小学校のすぐ西側にある「三重城山緑地」が西坂部城の跡地。城山東側下にあった公民館に駐車。城への登り口は多方面にあります。東登り口ここにある掲示板には「しろやま通信」なるものが張られており、城山の整備実績などが掲載されていました。...

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萱生城 ~「髪のびの井戸」伝説~

萱生城(かようじょう)は四日市市萱生町にあった山城で、一帯を支配した北勢四十八家の一つ春日部宗方(春日部家)が築城。 永禄11年(1568)、織田信長による北勢侵攻で攻撃を受け、後に落城しました。萱生城遠景城は朝明川南岸の半島状に突き出した丘陵上に築かれており、要害地形です。...

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柿城 ~室町幕府奉公衆佐脇氏の居城~

朝日町歴史博物館から池を挟んで南西約150mほどのところに小高い丘陵が残っています。その丘陵先端部分に築かれていたのが柿城です。周辺は新興住宅地となっていますが、主郭部分が残され現在は公園として整備保存されています。公園整備以前は竹藪に覆われていたそうです。...

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愛宕山城 ~愛宕山庚申碑が残る~

馬道駅の北方約200mほどのところの「愛宕山」に築かれていたのが愛宕山城。矢田城の支城であると思われるが詳細不明。永禄年間に矢田市郎左衛門が居城したとされ、織田信長の伊勢侵攻で矢田城とともに落城したといいます。愛宕山庚申碑(走井山公園にて)走井山公園から愛宕山にかけて石造の庚申碑が多く残っており、特に愛宕山には10基の庚申碑がありました。平成18年、愛宕山が宅地開発されることになったため、この場所に移設...

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矢田城 ~長島一向一揆侵攻の前線基地~

馬道駅の北西100mほどのところにある走井山公園一帯が矢田城の跡です。走井山公園 無料駐車場あり駅のすぐ北西にある公園に向かえばいいとだけ覚えていたので詳細な地図は確認せず、結果一度公園西側にある浄水場の裏側まで行ってしまいました。若干のタイムロス。...

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桑名城② ~破却された海道の名城~

京都所司代を務めた幕末の桑名藩主松平定敬は会津藩主松平容保の実弟で、兄や一橋慶喜とともに佐幕派の中心でした(一会桑政権)。そのため桑名藩は明治維新後に新政府軍によって厳しく処分され、かつて海道の名城とたたえられた桑名城も官軍に破却されます。辰巳櫓跡桑名城本丸の東南角にあり、三重櫓であった。元禄14年(1701)天守閣が焼失し、再建されなかったので、以後は辰巳櫓が桑名城のシンボル的な存在であった。このため...

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桑名城① ~九華扇の水城~

上総大多喜城から10万石で伊勢桑名へ封じられた本多忠勝が本格的に整備したのが現在の桑名城です。本多忠勝像 蜻蛉切付きうーむ、なかなかに威厳あります。・・・ああ、申し遅れました。現在地は三重県桑名市の九華公園。新章「紀伊半島一周の旅 」編は、紀伊半島の東の付け根部分にある桑名城の朝一登城からスタートです。もはやいつ訪れたのかも定かでないほど遠い昔のことのようだ・・・(笑)在庫が腐るほどあるので前置きは...

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松坂城(先行公開)

この日もクソ暑い日だった。直射日光下に駐車するとえらいことになるので日陰を求め城の周囲を一周。周囲には無料で駐車できる場所が多く非常にありがたい。好感度上昇。車道に迫る石垣。こういったのは意外と珍しいのでは。...

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KD

Author: KD
由緒ある建造物、急峻な山城、遺構の残っていない平地城館、考証無視の模擬天守、すべて等しく探訪対象。一番好きな瞬間は超マイナーな城館で城址碑や標柱を見つけたとき。
© 2010 城館探訪記

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