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記事一覧

天神城① ~雪中行軍~

暑さを忘れるため、大昔の登城記を発掘。天神城は沼田氏12代万鬼斎顕奉の隠居城。沿革は次回に記載。場所は川場村天神、薄根川と溝又川の合流地点にあり、三方を断崖に囲まれた丘陵の先端に位置します。この日は首都圏で積雪があったとニュースがあった日。南関東の海沿いですら雪が積もったというのに自分の住んでいるところは例によって全く雪が積もらないので、同じ感覚で無防備のまま北毛地区へ進攻したらこの状態。同じ県内で...

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植栗城 ~植栗氏の居城~

植栗城は吾妻氏の一派である植栗氏代々の居城で、応仁二年(1468)、植栗安芸守の伯母婿である柳沢直安(柳沢城主)が斎藤行弘(岩櫃城主)に襲われてここに逃れた。吾妻三家のひとつである大野氏(稲荷城)が実権を握り岩櫃城の城主となった時、斉藤氏、植栗氏も一時これに従う。後にいさかいが生じ、大野氏は斎藤憲次(岩下城)に植栗河内守(大系では安房守)元吉を討つように命じるが、斉藤氏と植栗氏は親族の関係であったため...

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羽根尾城 ~真田幸隆、哀しみと苦悩の吾妻攻略~

はい、タイトルは有名サイト・埋もれた古城からの引用です。天文十年(1541)、武田信虎・村上義清・諏訪頼重らの連合軍に海野平を追われた滋野一族の海野棟綱とその子幸隆(のちに真田幸隆)は、鳥居峠を越えて同族の羽尾幸全入道を頼り、羽根尾城(諸説あり)に落ち延びた(海野合戦)。海野棟綱・幸隆父子は幸全に庇護され、幸隆は羽尾氏の女を妻に娶っている。のちに箕輪城の長野業政に預けられたが、海野平の奪還をめぐって、...

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鎌原城 ~キャベツ畑の先に?~

 第12代景行天皇の皇子「日本武尊(やまとたけるのみこと)」の東征中に、海の神の怒りを静めるために愛妻「弟橘姫(おとたちばなひめ)」が海に身を投じました。その東征の帰路、碓日坂(今の鳥居峠)にお立ちになり、亡き妻を追慕のあまり「吾嬬者耶(あづまはや)」(ああ、わが妻よ、恋しい)とお嘆きになって妻をいとおしまれたという故事にちなんで嬬恋村と名付けられました。(嬬恋村役場HP「嬬恋村の名前の由来」より...

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長野原城① ~西吾妻の要衝~

長野原合戦の碑を眺めた後、いよいよこの日メインの長野原城攻略へと取りかかります。岩櫃城の斎藤氏に対抗するために、武田方の真田幸隆が侵攻の重要拠点とした城です。場所は長野原町役場の北側に東西にのびる山塊の上部一体となります。...

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嵩山城② ~小天狗の絶景~

嵩山(たけやま) 登山   所要時間:2時間30分/一般向け/適期:春~秋吾妻八景一番の景観、標高789mの嵩山には、山中のいたる所の大きな岩陰に、石仏(観世音)が安置されています。表登山道入口には、親都(ちかと)神社北側にあるふるさと公園たけやまがあり、車を置くことができます。表登山道の急な坂道を登っていくと展望台に着き、さらに進むと天狗の広場に出ます。ここには鳥瞰図台とあずま屋・展望台があります。嵩山は昔...

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柳沢城 ~丸岩城の里城~

別名横壁城。南東1kmにある丸岩城の里城であり、東西二郭から成る一城別郭の城。山の上に築かれた山上部と、その麓に築かれた丘城部とに分かれているようです。丸岩城にて大ダメージを負いつつも、探索は続行(笑)須賀尾峠より草津街道を下っていくと、明らかにそれらしい地形を発見。...

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丸岩城② ~天嶮の岩峰~

丸岩城は草津路の要衝須賀尾峠を押さえる城で、北西麓1kmにある柳沢城の要害城である。天正十年(1582)武田勝頼の滅亡により大戸城を攻略し、須賀尾峠を越えて長野原進出を企画する北条勢に対して、真田昌幸は湯本・西窪・横谷・鎌原の西吾妻諸将を交代で駐留させている。上杉景勝が岩井備前守に宛てた書状に、天正十二年(1584)三月二十六日、信州高井郡の地侍・須田信正、市川信房が羽尾源六郎を助けて三原(長野原城)、丸...

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丸岩城① ~標高1124mの超要害城~

こつこつと過去の登城記を記事にしているものの、いつまでたっても在庫処理のめどがつかず。当時の記憶を思い起こすだけでもかなり気力を消費しているような。数年前の登城記を延々と記事にするのも飽きたので、全国的に広範囲で雨模様だった昨日8月20日、久々に新規登城を行いました。考えてみたらおよそ6カ月ぶりの城攻めになります。夏に山城に向かうなどセオリー無視ですが、この日は朝から8月とは思えないほど涼しかったので...

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井土上屋敷 ~ひたすらマイナー~

荘田城から南へ500mほど、上越線を越えすぐのところに井土上町下公民館があり、ここが井土上屋敷の跡・・・と、文化財情報システムの地図には表示されています。ネット上では訪問記など無論のこと、一覧表に名称だけ掲載、というものすらありません。頼みの大系にも記載はなく、これぞマイナーの中でもトップクラスにマイナーな城館といえます。...

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関口城 ~荘田神社の大イチョウ~

別名道坂城。大系によると関口信正の居城とあります。誰だかわかりません。信正の祖信久は新田方であったという。やっぱりわかりません。大系にも文化財情報システムにも城はしっかり掲載されているのですが、これまた誰も攻城していない城のようです(少なくとも攻城記はなし)。またまたネット上では初レポートになるのか。先人のレポートがない城は、検索すると自分の記事がトップに出てくるのがちょっと嫌。まあそういった城は...

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木内館 ~沼田一の剛者~

大系には木内屋敷の名称で記載されています。沼田城の北6.5kmにあり、発知谷の中央にあたる。木内氏の屋敷で、越後御館の乱の翌天正八年閏三月、木内八右衛門は猿ヶ京宮野城を守る尻高左馬助と力を合わせ、三国峠を超えて荒戸城を襲い、城将樋口を討ち取って北条氏政の感状を受けている。(大系参照)こちらもネット上での現地情報は皆無、この記事が初レポートになりそうです。が、現地では現在も同じ場所に住居があり人が生活...

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発知館 ~発知の苗代桜~

発知館は沼田氏の支族発知氏の居館。発知氏は越後で活躍したとのこと。(城郭大系より)登城時に確認したところ、ネット上での情報は皆無。本日記事を作成するにあたりもう一度検索をかけてみるものの、やはり情報なし。「発知館 城館」で検索すると、以前自分が書いた荘田城の記事がトップでヒットするありさま。ということで、これが初レポートということになりそうです。今度からはこの記事がトップに表示されるようになるんだ...

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嵩山城① ~天狗の住む「霊山」~

中之条町で史跡指定されている城は6つ。城峯城・山田城・桑田城・内山城・横尾八幡城・そしてこの嵩山城です。中之条町のメイン城郭なので、まずは概要おば。...

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横尾八幡城 ~巧妙な囲郭式城郭~

中之条町に6つある史跡指定されている城のうちの一つ。 観光協会のHPには以下のような説明があります。城郭は珍しい囲郭式です。天正8(1580)年、尻高氏家老塩原源太左衛門と真田氏の家臣富澤豊前が交戦しました。その後、沼田街道の要害として富澤豊前・金子美濃守が守備しました。天正16(1588)年、真田昌幸の定めた勤番衆の「八幡山番帳」が残されています。 金子美濃守というと、騎馬もろとも断崖を滑り落ちて脱出したとい...

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内山城③ ~ダイ・ハード~

ネットで情報集めをしていたら、この城を紹介しているページもいくつかありました。こちらのページ は沿革も詳しく参考になります。しかし「山の中、道なき道をひたすら上を目指して歩くので大変に危険。一人では行かないほうが無難です」との記載が。行く前に見とけばよかった・・・帰路、大堀切のところまで撤収したところ。あとはただ下山するだけ。下りは例によってかなりのハイスピードで駆け降りるのですが・・・...

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内山城② ~真田幸隆攻略~

中世の中之条地区から吾妻奥地を経て信濃に向かう道は、沢渡・暮坂越えが本道であった。その山田川を越える地点を扼して築かれたのがこの城である。(城郭大系参照)現在では吾妻から信州上田方面へ向かう道は吾妻渓谷沿いのR145が主流ですが、中世では沢渡~暮坂峠ルートが本道だったとのこと。現在のr55のルートですかね。山田川というのは四万川のことでしょう。はじめ斎藤憲広に属する成田氏の城で、真田幸隆が永禄七年(1564...

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KD

Author: KD
由緒ある建造物、急峻な山城、遺構の残っていない平地城館、考証無視の模擬天守、すべて等しく探訪対象。一番好きな瞬間は超マイナーな城館で城址碑や標柱を見つけたとき。
© 2010 城館探訪記

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