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第37回 さらば三河家臣団

茶々(北川景子)が秀吉(ムロツヨシ)との子・鶴松を産んだ。勢いづく秀吉は、北条攻めを決定。和平を主張する家康(松本潤)に秀吉は先陣を命じ、勝てば北条領を全て与えると言う。しかし、それは故郷・三河を離れることでもあった。家康は家臣たちに事情を話せないまま、出陣を命じる。秀吉が20万もの大軍で小田原城を包囲する中、家康は氏政(駿河太郎)に降伏を促すが、全く応じようとしない。氏政には関東の雄としての意地があった。


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徳川家臣団 関東へ国替え



○北条氏政(駿河太郎)
なぜもっと早く降伏しなかったのかと問う家康に、
「夢を見ていたから」と答える氏政。
この夢とは、氏政の妹である糸を通じて伝わったあの瀬名の思想。

「…我らはただ 関東の隅で 侵さず 侵されず」
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「世が変わってしまった」と言う家康に対し
「その変わりゆく世に 力尽きるまであらがいたかった」と答える氏政。

「徳川殿 この関東の地 そなたが治めてくれるのであろう?」
「我が民を よろしく頼みまするぞ」


関東の雄としての矜持を感じさせる最期を見事に演じ切った駿河太郎さん、お疲れさまでした。


○大久保忠世(小手伸也)
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国替えに関して不満を持つ家臣団に対し、身を挺してその捌け口となる。彦の「忠世兄ぃに言い聞かされちゃ従うほかねえわ」の言葉から、徳川家臣団における忠世への信頼感というものが表されています。今週はこれまで縁の下の力持ちを続けてきた忠世の大きな見せ場回で、氏政とどちらをトップにしようか本当に迷いました。


○北条氏直(西山潤)・○おふう(清乃あさ姫)
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父氏政を説得できず長期籠城のすえ妻のおふうと共に岳父である家康のもとに降伏。家康の娘婿であったこともあり助命され高野山にて謹慎、のち赦免され1万石の豊臣大名に復帰するもほどなく病死。その後北条宗家は河内狭山藩主として幕末まで存続します。おふうは先週の方が見せ場ありましたが、公式の登場人物ページになぜか掲載されていないのでここで一緒に載せておきます。


○西笑承兌(でんでん)
大河に登場するにはややマニアックな人。豊臣政権の顧問的役割を務め、唐入りでも重要な役割を担うことになりますが、まず一見では名前が読めません。


○阿茶(松本若菜)
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三河家臣団がそれぞれの地に散るタイミングで満を持して登場。大変聡明そうなお方でございます(正信とタメを張れそう)。


○家臣団の国替え
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上野国箕輪12万石の井伊直政を筆頭に、上野国館林10万石の榊原康政、上総国万喜(のち大多喜)10万石の本多忠勝、相模国小田原4万5千石の大久保忠世、下総国矢作4万石の鳥居元忠、上野国厩橋3万3千石の平岩親吉など主要家臣が大名となり北条の旧領を統治することに。やたら上野国が目立ちますが、当時の上州は信州越州に面する旧北条領の最前線であり、家康もその地の抑えを重視していたことがうかがえます。なお酒井忠次はこの時すでに隠居していて息子の家次が下総国臼井3万石を与えられていますが、この禄に対する逸話や、家臣団の中では後輩の直政が最大石高を領したことについての逸話などはカットされ、代わりに半蔵がオチとして使われた結果全体的にいい話のようにまとまりました。


○伊奈忠次(なだぎ武)
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検地、新田開発、河川改修を行ったまちづくりプロジェクトリーダーで、江戸ひいては現在の東京の繁栄のもとを作った偉人。利根川東遷という大事業に着手したことでも有名。戦国大河では武将を中心にたまに公家、商人、文化人などは登場しますが、このような実務的(技術屋的)な人が登場するのは珍しい。新たな視点を見せるいい大河ですね。


紀行は小田原城石垣山一夜城

次回は「唐入り」
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Author: KD
由緒ある建造物、急峻な山城、遺構の残っていない平地城館、考証無視の模擬天守、すべて等しく探訪対象。一番好きな瞬間は超マイナーな城館で城址碑や標柱を見つけたとき。
© 2010 城館探訪記

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