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片貝城 ~北条高弘退去の城~

2018年10月 前橋探訪part4

上毛電鉄片貝駅の南にある龍潭寺付近に築かれた城が片貝城三俣城と同様、天正12年に北条高広が厩橋城前橋城)から退去して移った城であるという。

少し前までは城マニアの城巡りといったらもっぱら山城探訪が中心という流れでしたが、ここ数年で遺構がない平地城館を巡る同好の士もジワリと増加しているように感じます。前橋市史にすら記載のないこの超マイナー城館でさえ、すでに先人のレポートをいくつか拝見することができます。

さて、先人たちはみな龍潭寺を片貝城の跡として紹介しており、広義においてはそれは正しいのですが、『群馬県の中世城館跡』に掲載の図をより細かく見ると、龍潭寺の東側少し離れた場所に「本丸」と記された曲輪が描かれ、龍潭寺は西側の別郭扱いになっていることに気が付きます。いわゆる「一城別郭」の構えです。

ということで図面をもとに本丸跡へ向かってみると・・・


IMG_1591.jpg
片貝城本丸(主郭)付近

例によって住宅化の波に呑まれ遺構は湮滅。ただ微妙に曲がった道路などはかつての堀跡をなぞっているかもしれません。


IMG_1590.jpg
龍潭寺近くの道路沿いにある石碑・石塔群

武田家を滅ぼした織田家の重臣・滝川一益は上州に進出し、北条高広の居城である上野国の重要拠点・厩橋城の借用を求めます。織田家との誼を願う北条高広はこれを受け入れ三俣・片貝の地に退去しました。厩橋城に入った滝川一益は関東管領を号したといいます。



所在:群馬県前橋市西片貝町3丁目
評価:

遺構・表示物なし。知らない方のために説明すると、北条高広は越後長尾氏(上杉)配下の武将で、小田原北条氏とは血のつながりはなく、読み方は「きたじょう」です。関東の要衝である厩橋を任されたことから、軍事・政治力には一目置かれていたのでしょう。
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Author: KD
由緒ある建造物、急峻な山城、遺構の残っていない平地城館、考証無視の模擬天守、すべて等しく探訪対象。一番好きな瞬間は超マイナーな城館で城址碑や標柱を見つけたとき。
© 2010 城館探訪記

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