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清王寺の寄居 ~清王寺新井入道の砦か~

2018年2月 前橋探訪part3

上州の真冬に特有の雲一つない晴天、そして乾燥した冷たい強風が吹き荒れる日。先行公開では「いまいち記憶が定かでない」と書きましたが、写真を見返していて記憶がよみがえりました。この日は県立図書館に県内城館関連の資料を借りに来た日で、その際『群馬県の中世城館跡』(群馬県教育委員会著)に清王寺の寄居の記述を見つけたのでありました。いわく、県民会館周辺一帯がその跡地であるという。タブレットで検索しても先人たちの記録がヒットしないので、探訪記レポ1番乗りか。


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ということで図書館のすぐ隣にある群馬県民会館、(もとい、今はネーミングライツにより「ベイシア文化ホール」と称されているのだった)、にやってきました。

・・・ネーミングライツですか。近年はどこの自治体でも結構なりふり構わず歳入増と歳出削減に取り組んでおり、それは結構なことだと思うのですが、やりすぎると最終的に割を食うのはまず弱者、次いで一般市民であるのだろうと感じます。例えば今後必然的にその活用の場を拡大するであろうAIに行政活動の最適化を判断させたら、正直真っ先に切り捨てるのは莫大な金だけ掛かってリターンが望めない老人福祉費とかになるのだろうなあ、と。


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一角にある「奉拝記念碑」と「由来碑」

この地は群馬県師範学校(現群馬大学教育学部)の跡地であり、昭和9年の陸軍特別大演習のおり当師範学校に陛下をお迎えし、県下5千の教員が奉拝した記念碑である、とあります。

記念碑の揮毫は侍従長海軍大将・鈴木貫太郎。終戦時の内閣総理大臣であり、『坂の上の雲』などでよく知られる人物ですが、少年期から青年期までをここ前橋で過ごしていたこと*はあまり知られていないようです。

*厩橋学校(現前橋市立桃井小学校)、前橋中学(現群馬県立前橋高等学校)卒業



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ホールを突き抜け東側の「日吉町1号公園」に出ました。微妙な段差や凹凸が土塁跡や堀跡に見えてしまうのはもはや中世城館病罹患者としてやむなきこと。ちなみにかつては本丸を囲みコの字型に幅3間程の堀があり、土手もあったというので、たとえ全面整地がされたとはいえ何らかの名残を完全否定することはできません。

寄居(砦や拠点と同義)の名となっている清王寺とは、昔からある地名のことで、現在の若宮町・日吉町・城東町の一部にまたがって広がる地域を指しています。
旧町名である「清王寺町」については前橋商工会議所が発行している商工まえばし別冊「旧町名の旅」に詳しく、そもそもの名の由来はこの地内にあった寺院の名によるものだとか、この地に築かれた砦に清王寺新井入道という人物がいたからとか、諸説あるようです。



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西日を受けた影が長く伸びている、ホール上層階から眺めた東側の光景。




所在:群馬県前橋市日吉町1丁目
評価:

表示物なし、遺構なしですが、公園内の土塁や駐車場側で1段低くなっているところなど、見えない遺構が見えてしまうのが困ったところ。一番乗り特典を加えてワンランクアップしておきます。それと道路を挟んで北側に「寄居稲荷神社」があり、名称に名残を残しているのかもしれません。砦将とされる清王寺新井入道は、一説では戦いに敗れ越後からこの地に流れ、長野業政の家来として武田軍と戦い滅ぼされたといいます。
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Author: KD
由緒ある建造物、急峻な山城、遺構の残っていない平地城館、考証無視の模擬天守、すべて等しく探訪対象。一番好きな瞬間は超マイナーな城館で城址碑や標柱を見つけたとき。
© 2010 城館探訪記

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