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天手長男神社(壱岐国一宮)

亀丘城の次に向かったのは壱岐国の一宮・天手長男神社。私の探訪裏メインの一つである一ノ宮探訪について、本編で掲載するのは土佐神社以来となります。実際はこの間に雄山神社三社をはじめ数ヶ所の一ノ宮を訪れていますが、掲載が全く追い付かずかなり順番飛ばしをしています。


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神社が鎮座する小山の麓に到着。道路沿いにある一つ目の鳥居。


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その先には結構な長さの石段が続きます。ものの本によると石段は137段あるそうです。



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鳥居の前には駐車場がないのでまずは駐車場を探すと、鳥居よりやや西側に発見。神社の祭神と合祀が記載されてい説明板もあります。さらにこの場所から山上に車道が延びています。これはラッキー。



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車で3/4くらいまで登った地点。二つ目の鳥居があり、そこから一つ目の鳥居の場所を見下ろす。



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同じ場所から、残りの1/4ほどの登り。参道沿いには「壱岐島四十二社巡り」「壱岐国一之宮」の幟が立ち並んでいます。



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三つ目の鳥居を越えると社殿に到着。

ちなみに壱岐国一宮が天手長男神社であることは『延喜式神名帳』にも記載されているので間違いありませんが、現在この場所にある「天手長男神社」とされている神社が本当に壱岐国一宮の天手長男神社であるかどうかの確証はないのだそうです。詳細は以下引用参照。



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宗像大社(福岡県)の『宗像大菩薩御縁起』によれば、神功皇后の三韓征伐に際し、宗大臣(宗像大社の神)が「御手長」という旗竿に武内宿禰が持っていた紅白2本の旗をつけ、これを上げ下げして敵を翻弄し、最後に息御嶋(玄界灘の沖ノ島)に立てたという。天手長男(と天手長比売)の社名はこの「御手長」に由来するという。

弘仁2年(811年)に「天手長雄神社」(アメノタナガヲ‐)として創建、後に「天手長男神社」。『大日本国一宮記』(『一宮記』)には、天手長男神社と天手長比売神社が物部村にあり、天手長男神社を壱岐の一宮としたとある。『一宮記』では天思兼神を祭神としている。

その後、元寇により廃れてしまい、所在も不明となっていた。

現在の天手長男神社は、江戸時代にそれまで「若宮」と呼ばれていた小祠を平戸藩の国学者、橘三喜が名神大社の天手長男神社に比定したものである。三喜は、当神社の位置する「たながお(たなかを)」という地名から天手長男神社は田中触にあるものと推定した。そして、田中の城山竹薮の中に分け入り、神鏡1面、弥勒如来の石像2座を掘り出し、石祠を造って祀った。延宝5年(1677年)に発見された弥勒如来像には延久3年(1071年)の銘があり、後に重要文化財に指定され2012年現在は奈良国立博物館に保存されている。元禄元年(1688年)には松浦藩主の命により社殿が作られた。

なお、三喜の式内社の査定は地名に基づいたものが多く、現在の研究では疑問が持たれている。天手長男神社については、芦辺町湯岳興触に興神社があり、興(こう)は国府(こう)のことであると考えられ、境内社に壱岐国総社もあることから、興神社が本来の天手長男神社であり壱岐国一宮であるとする説が有力となっている(橘三喜は興神社を式内小社「與神社」に比定しているが、これは興と與を見誤ったためと見られる)。

合祀されている天手長比売神社も橘三喜の査定によるものであり、本来の天手長比売神社の所在地は不明である。物部布都神社も、「田中触が物部(ものべ)村に属しているから」という理由で比定されたものであり、近年の研究では渡良浦の國津神社が本来の物部布都神社であったとされている。なお、平安時代に存在した森部郷は、江戸時代の物部村や、平成時代の田中触・渡良浦ほかを含む地域と比定されている。

もっともそうした経緯はともあれ、現在では当神社が壱岐国の一宮とされ、天手長比売、物部布都の両神社の神も合祀されている。(wiki参照)


ふーん、なるほどですね。本当に一之宮巡りを行うにはこの場所ともう一つ、興神社にも訪れる必要がありそうですね。自分としてはとりあえず専用の御朱印帳のページが埋まればいいので、今回はこちらで御朱印をいただいて終了とさせていただきますけど。ということで御朱印をいただきに社務所を覗くと無人。「御用の方は下記へお電話ください」という張り紙がしてあったのでさっそく電話してみる。10コール鳴ったけど出ない。いったん切り、もう一度電話するも出ない。おいおい、ここまで来て連絡つかないのはシャレにならんぞと焦ったが、20コールくらいでようやく人が出た。一安心して御朱印を所望すると、「今日はそっちまで行けないので社殿に置いてある御朱印をもっていって」との回答。え?マジっすか。



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社殿には確かに御朱印が押された大小サイズの用紙が置かれていました。一ノ宮専用の御朱印帳には大サイズの用紙がほぼ一致。正直書置きの用紙では参拝日も記載されていないし不完全燃焼感がありますが、何も手に入らない事と比べれば今回はこれで納得するしかないでしょう。



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おまけ:天手長男神社から小川を挟んだすぐ南側の林の中に栲幡千々姫命、稚日女命、木花開耶姫命、豊玉姫命、玉依姫命の五柱が祀られていた「天手長比売神社」の跡があります。現在は社殿は存在せず、五柱は天手長男神社に合祀されているとのことです。
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Author: KD
由緒ある建造物、急峻な山城、遺構の残っていない平地城館、考証無視の模擬天守、すべて等しく探訪対象。一番好きな瞬間は超マイナーな城館で城址碑や標柱を見つけたとき。
© 2010 城館探訪記

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