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中村屋形 ~対馬の「府城」~

池の屋形探訪後、すぐ近くにある「ホテル対馬」内にあるオリックスレンタカーで格安のレンタカーを借りる。本日の午前中はこの軽のレンタカーで対馬内を移動します。



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国道に出て北に向かってすぐの場所にある対馬南警察署。近くには地方裁判所や地方検察庁の建物も集まっており、この近辺に中村屋形があったといいます。中村屋形は応仁2年(1468)ごろ築かれたとされ、大永6年(1526)に宗氏15代将盛が池ノ屋形を築いて移るまで、宗氏の居城であったところです。


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石塀と武家門の中村


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多田小路

江戸時代の宗家10万石の城下町の名残を残す中村地区は、石塀や武家門等の資源を生かして趣のある街並みを目指し整備が進められています。文化八年(1811)の朝鮮通信使接遇の際、幕府側の柳生主膳正なる人物の宿館跡もこのあたりにあったらしい。



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検察庁の向かいには石塀で囲まれた一角があり、こちらに中村屋形についての記述のある説明板が設置されています。



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室町時代、対馬は阿比留氏に代わって宗氏が治めていましたが、島主10代宗貞国は拠点だった峰町の佐賀を離れ、府中に移り、応仁2年(1468)に新しい館(府城)を現在の対馬南警察署付近に築きました。館はのちに「中村屋形」と称されました。(説明板より抜粋)




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宗義智像

宗家20代島主にして初代対馬藩主。名護屋の陣城群の中にも名を連ねていますが、考えてみると自らの本拠よりも朝鮮から遠いところにわざわざ陣城を築くというのも相当無駄なことでしたね。朝鮮出兵後の関係修復交渉を執り行い、朝鮮との通好条約(己酉条約)を成立させた功績により、幕府から独立した機関として朝鮮と貿易を行うことを徳川家康から許されます。この銅像はその遺徳を顕彰するため平成28年に建立されたもの。



所在:長崎県対馬市厳原町中村
評価:

屋形そのものの遺構はありませんが、説明表示はあったのでワンランクアップ。現在の中村地区は寛文時代(1660年代)に整えられた町割がもとになっており、石塀や武家門が当時の武家屋敷の雰囲気をとどめています。整備は続いているようなので今後さらに魅力が増すものと思われます。
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Author: KD
由緒ある建造物、急峻な山城、遺構の残っていない平地城館、考証無視の模擬天守、すべて等しく探訪対象。一番好きな瞬間は超マイナーな城館で城址碑や標柱を見つけたとき。
© 2010 城館探訪記

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