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清水山城① ~衝撃のファーストブリット~

その昔、『スクライド』というアニメが放送されていたのですよ。
それは熱い内容の作品だったのぢゃ。





ということで特に意味はありませんが(*注)、今回の清水山城探訪のタイトルはこの作品から引用することにします。

*しいて言えばそれぞれの郭に到達した時の印象にちょっとだけ寄せているという意味はあります。



万松院から再び金石城搦手~旧金石城庭園の裏手を通り、山手へ向かう。


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随所に案内表示があるので清水山城へのルートは安心。

右写真の場所には「対馬聖人」雨森芳洲の顕彰碑あり。説明板には新井白石との論争(日本国王号問題)や対等の交隣思想などについて触れられています。



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金石城の中枢部は整備中?



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案内に沿って激坂を登ると登城口・・・



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ここから                   読めんわ

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すごい道

このあたり一帯は急峻な地形のわずかな平場に住宅を無理やり建てているようなところなので、登城路も人家のすぐ真裏を登るような状態になっています。ハングル表記は静かに登りましょう的なことが書いてあったのでしょうきっと。

少し登っていくと説明板発見。


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清水山城跡は、有明山(558.2m)から延びた東の支脈先端にあたる清水山の尾根上に立地する、16世紀末の文禄・慶長の役に際して築かれた城である。
天正期、豊臣秀吉が朝鮮半島の釜山に兵を送るために、本営とした肥前名護屋城から海を渡った後の中継地として、壱岐の勝本城とともに築いたと考えられる。イエズス会宣教師のルイス・フロイスは著書『日本史』で、これに関し、秀吉は壱岐と対馬に「屋敷と宿舎、食糧用貯蔵庫」の建築を命じたと記している。しかし、その構造を見る限り、いわゆる御座所の機能は清水山城ではなく金石城に担わされていた可能性がある。秀吉の築城指令を記す史料は確認されていないが、例えば文化6年(1809)に編纂された『津島紀事』では、秀吉の命により毛利高政が築城したと書かれている。なお、築城者については、近代に出された、対馬領主の宗義智が主力になり、相良長毎、高橋直次、筑紫廣門らが加勢したとする説が有力である。
城は一ノ丸、二ノ丸、三ノ丸と呼ばれる三つの曲輪からなり、延長は約500mである。標高208mの山頂部から南東の標高95mまでの高低差のある地形に位置する。各曲輪は尾根筋の平坦部に石垣を築いて造られており、尾根沿いの石塁でつながっている。尾根は岩盤が露出した狭隘な地形のため、曲輪をつなぐ石塁も10m程の狭い幅で囲われた回廊状になっている。
朝鮮半島に築かれた倭城には、退路の確保などを目的として設けられた港湾から城までを囲う竪石垣と呼ばれる構造があるが、清水山城の石塁も曲輪をつなぎ、囲うことで、城内部の防御機能を意識したのであろう。(説明板参照)




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ここからが本格的な登城路で、さっそく分岐。右手三ノ丸方向へ進みます。なお帰路では左手の道から降りてきました。



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しばし登ると頭上に石垣が現れます!



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同じく、三ノ丸石垣



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登城路は三ノ丸に到達する直前に180度切り返し、港方向を見ながら登ることになります。



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三ノ丸到着



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清水山城の東端に位置する。標高95~105mの尾根の両肩部に石垣を築き、尾根に沿って細長い形状の曲輪を構成する。東西約80m、南北30mである。
曲輪の石垣は直線で構成され曲面は見られないが、長辺が10~20m間隔で穏やかに折れて繋がっているため、一見すると長楕円形を呈する。
北辺はやや不明瞭だが南辺は比較的良好に遺存する。隅角部は算木積みの様相を呈し、築石部は扁平な割石を多く用いて、一部だけに横の目地が走る布積みと大小の石を多方向に積んだ乱積と呼ばれる積み方で構築され、他の石材よりも数倍大きな石を随所に配置する鏡積み様の技法も見られる。
東部南側に虎口が開き、石段が残る。曲輪の累線上には六箇所の横矢枡形がある。三ノ丸の南端から下には、尾根の稜線沿いに等高線に直行して竪堀がある。(説明板参照)




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眺望非常によろし



動画


尾根上にあがってからずっと風が強かったことを覚えています。

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Author: KD
由緒ある建造物、急峻な山城、遺構の残っていない平地城館、考証無視の模擬天守、すべて等しく探訪対象。一番好きな瞬間は超マイナーな城館で城址碑や標柱を見つけたとき。毎日生野菜摂取しないと死ぬ。
© 2010 城館探訪記

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