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義経北行伝説 厩石

蓬田城を後にして引き続き津軽半島を北上。蓬田村から外ヶ浜町に入り、バイパスの終点を左折してr12~r14で山越えするのが龍飛崎への最短ルート。小国峠を越え今別町に入り、しばし進むと北海道新幹線奥津軽いまべつ駅が出現。


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奥津軽いまべつ駅
  
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道の駅いまべつ

なんというか安中榛名駅みたいな新幹線駅です。道の駅も併設されているのでそちら目当てで立ち寄ってみました。本日は道の駅よこはまで買った菜の花パン一個(→参照)しか口にしていないので、ここで何かめぼしいものでもあれば食べようかとも思ったのですが、特になかったのですぐに退出。探訪中は食べないなら食べないでも結構大丈夫なんですよね。しいて言えば新鮮なサラダが食べたいくらい。たまにレタスやトマトなどが無性に食べたくなる時があります。運転しながら食べられるようにキュウリやセロリのスティックを車の中に常備することを検討しよう。


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道が空いているため、あっという間に津軽半島の北岸に出ました。今別町から外ヶ浜町に入り、「風の岬」龍飛まではあと少し。おや、しばし前に小国峠を越えたところで外ヶ浜町から今別町に入ったはずだが、ここでまた外ヶ浜町になるの?・・・と疑問に思い調べてみると、外ヶ浜町は平成の大合併で誕生した町で、旧蟹田町・旧平舘村の部分と旧三厩村の部分に二分されており、今別町を挟んで飛地となっているようです。

外ヶ浜町(旧三厩村区域)に入りしばらく海沿いの眺めのいい快走路が続く。と、突如観光スポットのようなエリアが出現。地図を見ると「義経寺」「厩石」といった表示。ちょっと見学してみようと思うも、駐車スペースはそこかしこにあるが、日陰の場所を探すのに少し手間取る。ようやくよさげなところに車を停められたので散策開始。


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段上が義経寺。手前の石碑には「松前街道終点之碑」とあります。

龍馬山 義経寺 ~義経伝説のロマン秘め 津軽海峡を見おろす寺~

源義経は奥州平泉の衣川で自刃したといわれていますが、源頼朝に追われ、龍飛崎まで逃げて荒れ狂う海を前に観音像に祈ると、3頭の龍馬が現れ、海峡を渡ることができたという伝説が残る寺であります。

ここには義経が祈りを捧げたという観音像が安置されています。義経が海を渡った500年後、厩石を訪れた円空は、義経の守り神だった観音様が岩の上で光っているのを見つけます。
そこで流木で仏像を彫りその中に観音像を納め、小さなお堂を建てて祀りました。そのお堂が龍馬山 義経寺となり、円空仏は昭和38年に青森県重要文化財の指定を受けています。また、浄土宗津軽33観音霊場第19番札所となっており、県内では数少ない神仏混交で山門から本堂の間に観音堂、弁天堂、金比羅、堂阿弥陀堂が並んでいます。
青森県観光情報サイトアプティネット参照)


出ました。義経北行伝説の残る地です。当ブログでは以下の記事でも触れています。

世界ふしぎ発見! 「日本史最大の謎 消えた義経を追え」
義経北行伝説 おがみ神社


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国道沿いには「厩石」とよばれる奇岩があります。

厩石の由来

文治五年(1189年)、兄頼朝の計らいで、衣川の高舘で藤原秦衝に急襲された源義経は、館に火をかけ自刃した。これが歴史の通説であるが、義経は生きていた!藤原秀衡の遺書 (危険が身に迫るようなことがあったら館に火をかけ、自刃を粧って遠くの蝦夷が島(北海道)へ渡るべし) のとおり北を目指しこの地に辿り着いた。
近くに蝦夷が島を望むが、荒れ狂う津軽海峡が行く手を阻んで容易に渡ることが出来ない。そこで義経は海岸の奇岩上に座して、三日三晩日頃信仰する身代の観世音を安置し、波風を静め渡海できるように一心に祈願した。
丁度満願の晩に、白髪の翁が現れ“三頭の龍馬を与える。これに乗って渡るがよい”と云って消えた。翌朝巌上を降りると岩穴には三頭の龍馬が繋がれ、海上は鏡のように静まっていて義経は無事に蝦夷が島に渡ることができた。それからこの岩を厩石、この地を三馬屋(三厩村)と呼ぶようになった。(説明板参照)



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兄源頼朝に追われた義経は
岩手県平泉高舘を後に 蝦夷地に逃れようとこの地にたどりついたが
津軽海峡は 風が吹き 浪が荒れ狂い 渡ることができない

そこで 海辺の大岩の上で 渡海の祈願をしたところ
白髪の老人が現れ 三頭の竜馬を授け
無事蝦夷の地に渡ることができたという

この言い伝えから 三頭の竜馬が つながれていた大岩を厩石と呼ぶようになり
三馬屋の地名の由来となったのである

1889年(明治22年)には 明治憲法下で町村制が施行され
今別外六ヶ村から増川・宇鉄両村を大字として独立し 三厩村が誕生した
以後 明治・大正・昭和・平成と 長い年月が流れ 幾多の歴史が刻まれてきた

そして今 三厩村は 116年の歴史に幕を閉じ
平成17年3月28日 蟹田町・平舘村と合併し
外ヶ浜町として生まれ変わり 新たなる歴史の幕開けを迎える

村名が新町名に変わろうとも この地に生まれ育った 一人ひとりの心の中に
三厩村の名が 生き続け 更には 外ヶ浜町の すばらしい新たな歴史が
刻まれていくことを 祈念し この碑を 建立するものである
「三厩村名発祥之地」碑より)



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左:源義経龍神塔 右:静御前龍神塔

現在の厩石は周辺埋め立てにより道路より陸地側にありますが、かつては海岸すぐの場所にあったといいます。
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Author: KD
由緒ある建造物、急峻な山城、遺構の残っていない平地城館、考証無視の模擬天守、すべて等しく探訪対象。一番好きな瞬間は超マイナーな城館で城址碑や標柱を見つけたとき。
© 2010 城館探訪記

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