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野辺地城 ~野辺地戦争の舞台~

下北半島の付け根に位置する野辺地町。その町役場の西側に公民館・図書館・資料館が集中している一角があり、そこがかつての野辺地城金鶏城野辺地代官所とも)の跡地になります。

築城時期は定かでなく、南北朝時代に七戸南部氏の一族、野辺地氏が移住したとされます。康正三年(1457)の蠣崎蔵人の乱では、蠣崎城を本拠とする蠣崎氏の攻撃をうけて陥落したと伝えられます。慶長三年(1598)には、津軽氏に対する抑えとして石井伊賀が城代として配されました。その後、小軽米氏、日戸氏が相次いで城代となり、享保20年(1735)に盛岡藩内に通制が敷かれた時、代官2名がおかれ野辺地代官所に改められました。

明治元年(1868)戊辰戦争において、津軽藩との野辺地戦争が勃発し、その際の南部藩兵の拠点となったところでもあります。


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野辺地町立中央公民館

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標柱

木が邪魔して上手く撮れないw


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町立図書館

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町立歴史民俗資料館

資料館は入館料210円かかるので入るのやめた。代わりに以下町の沿革を。

野辺地という地名は、ヌップぺツ(野をながれる川、ペツは大きい川を意味する)というアイヌ語だという説と海岸に沿って延びた広い原野を意味する延地(のべち)からきているという説があります。この地名が記録に初めてみえるのは建武2年(1335)のことです。後醍醐天皇により陸奥の守として東北に派遣された北畠顕家が、糠部郡の郡奉行であった南部師行にあてた文書に、「七戸内野辺地」をに与えるようにと書かれたものがあります。糠部郡とは、現在の青森県東部から岩手県北部までの広大な地域です。以後、江戸時代の終わりまで、この地域は南部氏の領土でした。

戦国時代に津軽氏が南部氏から独立し、現在の青森県の西半分が領土となると、南部氏にとって野辺地は津軽領に接する重要な地域となり、江戸時代にはや(南部領と津軽領との間を通行する人々や物資の出入をとりしまる役所)などの施設が設けられました。この時代になると各地の特産品が船で大量に輸送されるようになります。下北半島や野辺地の湊には、木材(ヒバ)を求めて北陸地方や(現、北海道)松前などから多くの船が訪れるようになりました。さらに明和3年(1766)には、南部領尾去沢鉱山(現、秋田県鹿角市)から産出される銅を野辺地湊から大坂まで運ぶことになりました。この銅は江戸幕府によって長崎貿易に使われ、御用銅と呼ばれました。御用銅を運ぶ船には南部領の特産品の大豆や〆粕(鰯の粕で畑の肥料となった)も積まれ大坂で販売されました。野辺地には多くの商人が移り住むようになり、やがて自ら船を持ち航海に乗り出す商人も現れます。この船は日本海や瀬戸内海を航海し、各地の湊で商品の売買をしていたので、船頭はすぐれた航海術とともに商才も必要でした。野辺地湊には、塩、古着や木綿、酒、紙などさまざまな商品がもたらされ、南部領の各地に運ばれていきました。このように江戸時代の野辺地は盛岡藩の日本海航路(西回り航路)への窓口として発展しました。

明治元年(1868)の戊辰戦争のとき、東北地方の各藩は新政府軍と旧幕府軍のどちらを支持するかという決断をせまられました。結果的に旧幕府軍を支持することになった盛岡藩・八戸藩と新政府軍を支持することになった弘前藩・黒石藩は9月22日に野辺地で戦いました。のちに野辺地戦争と呼ばれるこの戦闘は翌朝まで続き、弘前藩と黒石藩は多くの犠牲者を出して退却しました。野辺地に響いた砲声は、新しい時代の夜明けを告げるものでした。明治3年(1870)、この地方には会津(現、福島県)の藩士とその家族が移り住み斗南藩ができるなど、いろいろな移り変わりをへて明治9年(1876)に現在の形の青森県ができます。
(野辺地町立歴史民俗資料館HP参照)



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明前地区の力石

重さは約18貫(67㎏)あります。


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南面は野辺地川の河岸段丘に面しており、思いのほか断崖地形となっています。川の対岸側から見ればさぞ攻めにくい地形に映ることでしょう。


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暑いので日陰を求める涙ぐましい駐車状況。この写真の奥には東面の堀が残存しています。



所在:青森県上北郡野辺地町野辺地
評価:★☆

敷地内には明確な遺構はありませんが、かつて周囲を取り囲んでいた堀の一部が東面に残り、南面の河岸段丘からは要害性も感じ取れます。盛岡と下北半島を結ぶ交通の要衝であり、さらに弘前藩との藩境にあった野辺地は盛岡藩にとって戦略上極めて重要な場所でした。
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Author: KD
由緒ある建造物、急峻な山城、遺構の残っていない平地城館、考証無視の模擬天守、すべて等しく探訪対象。一番好きな瞬間は超マイナーな城館で城址碑や標柱を見つけたとき。
© 2010 城館探訪記

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