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田名部館 ~中世から続く統治拠点~

斗南陣屋の北西、現在代官山公園となっている小高い丘陵上に築かれたのが田名部館田名部城とも)。近世には代官所が設置されたため田名部代官所として紹介されることも多く、公園の名の由来となっています。


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代官山公園

田名部館の築城年代は定かではないが、建武年間の頃、八戸根城の南部師行が家臣 武田修理、赤目五郎を目代として置いたところといわれる。康正年間、蠣崎城主蠣崎蔵人が南部氏に背いた際、糠部郡宇曾利郷(下北半島)が蠣崎氏の配下になったため、田名部館も南部氏の攻撃を受けた(蠣崎蔵人の乱)。乱後に根城(八戸)南部氏家臣新田盛政が城代となり、その後、八戸氏の属城となる。また慶長年間(1596-1615)に八戸直政の室・清心尼が田名部北方の女館にいたが、元和3年(1617)に南部利直が根城南部氏から下北の支配権を接収した。(wiki等参照)


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1632年、南部藩は下北一帯を支配するため田名部館下にある常念寺に仮代官所を設置、1661年代官所をかつて館のあった場所に移します。代官所の構造は本屋棟(52坪)、土蔵(22坪)、硝石庫(4坪)、板倉(18坪)、牢屋(26坪)といったもので、以後明治維新まで代官所は存続します(年代は説明板より)。明治以降は学校や図書館などが建設され、現在は全ての建物が撤去され公園として整備されています。


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代官山公園の高野槇

樹齢約300年。代官所時代から続く大樹で、現在は公園のシンボルツリーとなっています。



所在:青森県むつ市小川町2丁目
評価:★☆

公園内には特段遺構は見受けられませんが、広い平場や切岸地形などから統治拠点にするに適した地形であることは感じられます。樹齢300年の高野槙も、この地に城館が築かれた時にはまだ存在していなかったことを考えると感慨深いものがあります。
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Author: KD
由緒ある建造物、急峻な山城、遺構の残っていない平地城館、考証無視の模擬天守、すべて等しく探訪対象。一番好きな瞬間は超マイナーな城館で城址碑や標柱を見つけたとき。
© 2010 城館探訪記

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