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七戸城① ~七戸南部氏の大城郭~

-半年近くぶりの探訪記本伝再開-

伝法寺館を後にし、R4を北上して十和田市から七戸町へ。


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「町役場七戸庁舎」に到着。七戸城はこの庁舎裏の丘陵上にあります。ちなみに七戸町は2005年に天間林村と合併しており、新七戸町の本庁舎は旧天間林村役場の位置にあります。新たな町全体のバランスなど総合的に考えての判断なのでしょう。


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空から見た七戸城の様子。昭和16年に国指定史跡に指定された範囲は11ヘクタールですが、実際の城域は22ヘクタールを超える広大なものです。



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上記案内板の傍にある「親孝行勧めの歌」碑。裏面の碑文によると、南部藩第36代の利敬が領民教化のために作った数え歌であるとのこと。



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七戸城の郭の一つ・「下館」。かつては七戸幼稚園の敷地であったらしい。奥に見えるのは「西館」の塁壁。



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下館から本丸内にある神社・神明宮へ。外は暑いので駐車場所に境内の日陰箇所をまずキープ。これを怠るとちょっと車を離れただけで車内が灼熱地獄と化します。段下には七戸庁舎を確認。



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城址碑
 
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国指定史跡 七戸城

七戸城の性格としては、北方に位置する安藤氏の攻撃に対しての、南部氏北方防衛拠点としての役割が強いものと考えられます。そして、室町時代初期(15世紀初頭段階)において、七戸南部氏は、三戸南部氏や根城南部氏と同等の権力をもった位置にあったが、康正2年(1456)の蠣崎蔵人の乱により、七戸は落とされ、その後七戸南部氏の権力は急激に低下していったのではないかと考えられています。(説明板参照)




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近世の七戸代官所(旧南部七戸城本丸及二の丸の図)



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神明宮

七戸一円の総鎮守で、藩政時代には南部氏の祈願所として崇敬されてきました。



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南部重信の歌碑

はじめ七戸城主・のち兄の跡を継いで盛岡藩八万石の藩主となった南部家29代藩主・重信は名君の誉れ高く、歌人としても知られます。



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神社周りの土塁

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公園

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虎口跡らしき

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公園

七戸城の中心である「本城」部分は現在神社と公園になっています。案内図によるとこの本城部分はさらに「本丸」と「二の丸」に分かれているようで、近世の代官所もこの本城部分にあったようです。この日の公園内はやたら草刈りをしている人が多く、草刈り機の稼働音が鳴り響いています。



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草の粉末を避けるように本城の北東角へ。この辺りは周りに土塁がめぐらされ、城っぽい雰囲気を感じるところ。土塁の上に登ると見晴らしのいいところに出ます。案内図に「展望台」と表示されているところで、東側城下や北側の天王神社などが一望できます。



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眼下には門が見えます。このくそ暑い中あそこまで行くのは正直きついところですが、めったにない機会なので行ってみましょう。



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展望台から門方向へはちょっと遠回りしないと辿り着けないのがさらにめんどい。カメさんが表示されているルートで段下まで下っていきます。


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Author: KD
由緒ある建造物、急峻な山城、遺構の残っていない平地城館、考証無視の模擬天守、すべて等しく探訪対象。一番好きな瞬間は超マイナーな城館で城址碑や標柱を見つけたとき。
© 2010 城館探訪記

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