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大戸平城 ~手子丸城主大戸氏の城か~

2017年12月 大戸・権田探訪

大戸関所の南西300mほどにある丘陵上に築かれていたのが大戸平城手子丸城大戸城)主・大戸氏(浦戸氏)の城と考えられているものの、詳細は不明。

大手口は北東側で、先人たちの記録を見てもそちら側から登城しているものが多いですが、「マッピングぐんま」の位置図を見て台地基部の南側からの登城のほうが容易に思えたので搦手へ。こちらに向かうルートは道は狭く駐車場もありませんが、城域に向かう一番近い地点に車1台ならなんとか止められるスペースがあります。



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予想通り、搦手側からは登りなしですぐに主郭南側の外郭に到着できます。この時は資料もなく手ぶらでの探訪でしたが、後日『群馬県古城塁祉の研究』の山崎先生の図を見ると、写真の墓地部分の土壇状の地形がしっかり描かれています。


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墓地の後ろ、主郭背後の堀切。台地基部を明確に断ち切っています。主郭との段差は3~4m程度ですが、切岸の角度が急なため登りやすそうなところを探してしばしうろうろ。結局どこも同じような状況だったので墓地から最短距離の正面部分から強行。



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主郭内は一面の竹藪。削平されていることが感じられる程度で、あえて整備はしていないのかもしれません。中央付近に崩れた石祠があります。



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主郭から見た二郭



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二郭



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主郭北側塁壁



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二郭の北に広がる郭

二郭から北側は階段状に郭が並べられ、きれいに手が加えられているようです。



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搦手からは手子丸城の姿がよく望めました。



所在:群馬県吾妻郡東吾妻町大戸
評価:★☆

城の表示物なし。手子丸城が険しい山上の城郭であるため、大戸氏の平時の居城は別のところにあったように思えます。すると「大戸平城」という名称からここがまさに平時の拠点であったようにも感じられますが、そうするとやや手子丸城との距離が離れすぎているようにも思えます。あるいは草津街道を東西から掌握するための大戸氏の出城であったとも考えられますが、いずれも推測の域を出ません。
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Author: KD
由緒ある建造物、急峻な山城、遺構の残っていない平地城館、考証無視の模擬天守、すべて等しく探訪対象。一番好きな瞬間は超マイナーな城館で城址碑や標柱を見つけたとき。
© 2010 城館探訪記

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