FC2ブログ

記事一覧

行力下屋敷 ~中屋敷と二重構造~

高崎市史No.18

行力中屋敷の南東、小流を隔てて隣接しているのが行力下屋敷。規模は100m×90mほどで、長野氏武士団の屋敷跡とされるも詳細は不明。行力中屋敷と同様戦国初期には上杉領であったが、天文20年(1551)以降は長野氏の支配下になったと考えられています。


IMG_1710.jpg
北西側から


IMG_1711_2017120622073378e.jpg IMG_1712_20171206220735b20.jpg
屋敷跡付近

北西面には土塁らしきが見受けられましたが、高崎市史によると遺構は消滅しているとあるので、ただの紛い地形なのかもしれません。私がしょっちゅう口にしている「そのように見ればそう見える地形」のことです。



所在:群馬県高崎市行力町
評価:

明確な遺構・表示物なし。この屋敷と行力中屋敷との関係は、すぐ南方にある北新波砦満勝寺砦との関係と似ていると高崎市史には記されています。
関連記事

コメント

コメントの投稿

非公開コメント

カテゴリ

プロフィール

KD

Author: KD
由緒ある建造物、急峻な山城、遺構の残っていない平地城館、考証無視の模擬天守、すべて等しく探訪対象。一番好きな瞬間は超マイナーな城館で城址碑や標柱を見つけたとき。
© 2010 城館探訪記

フリーエリア

Twitter

スポンサーリンク

カレンダー

05 | 2020/06 | 07
- 1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 - - - -

メールフォーム

お問い合わせはこちらからどうぞ

名前:
メール:
件名:
本文: