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板鼻宿本陣 ~皇女和宮宿泊所~

県内城館在庫処分期間・安中市編

安中市の城館は資料でざっと確認するだけでも旧安中市分だけで軽く40城館以上あり、細かく調べればその数はさらに増加します。これに旧松井田町分の城館が加算され、さらに紛い地も含めれば相当の数にのぼりますが、現時点で掲載済みなのは、ええと・・・(2013年データ消滅事件以来登城データをエクセル管理していないので目次のページで確認)・・・18城館ですか。安中・松井田地区では真っ先に登城した松井田城、まだ公開していなかったんだな。データ消滅しちゃったからいずれ再訪しなければ。もちろん再訪は特殊事情がないかぎりは新規登城よりもはるかに優先順位が低いため、いつになるかは全くの未定。ブログ開設前に作成したHP(2010年4月以降ブログに移行したため更新凍結)に2006年ごろ登城の松井田城レポが残っていたので代わりにリンクしておきます。

ということでまずは高崎市にほど近い板鼻地区から。



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板鼻公民館北側の県道にある表示。この場所は小丸田砦の項ですでに一度取り上げていますが、現在資料館となっている本陣書院は平日でないと内部見学できないので、内部見学した時に掲載しようと考えたまま、ずっと塩漬けとなっていた在庫物件です。休日に何度この「皇女和宮宿泊所」の看板を眺めながらスルーして車を走らせたことか、もう数えきれないレベル。結局建物内見学していないまま在庫整理期間に入ったのでそのまま処理しちゃいます。



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上記のページでも触れている「板鼻堰用水路」。相変わらず水がなみなみ。

この用水路に面して本陣書院が建っていますが、先に公民館の南側入口へ。



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板鼻宿本陣跡



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中仙道板鼻宿

板鼻宿は天保14年(1843年)の調査によると、人口1,422人、総軒数312軒、本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠54軒であったという。中仙道(中山道)上州七宿の中では最大級の宿場であり、かつ旅籠の数50軒を数えるのは板鼻宿より京方面では塩尻宿以外にないとのこと。



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公民館建物入口には和宮の顔出しパネル



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旧板鼻宿本陣書院(皇女和宮宿泊所)

この建物は、板鼻宿本陣(木嶋家)に付属した書院であった。書院建設年代は寛永説(1624~1644)と寛政説(1789~1801)がある。
公武合体運動により皇女和宮内親王(1846~1877、孝明天皇の妹)が第14代将軍徳川家茂(1846~1866)に降嫁するため中山道を京都から江戸への下向途次、文久元年(1861)11月10日に一夜をこの書院で過ごされた。
時代は下って、板鼻宿本陣敷地が板鼻公民館用地となり、書院はここに曳き移転され、外装等に補強の手を加えたが、昔日の面影が偲ばれるよう施工はひかえめとした。(説明板参照)




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和宮御仮泊所および板鼻本陣

板鼻宿の本陣は、板鼻公民館のあたりにあり、重代本陣の木島家である。家柄については、東京に転出した同家の古文書が亡失されてしまったので、はっきりしないが木島家歳暦過去帳、解忠の墓側に刻まれた祖塔記などから推考すると、先祖は奥州平泉の豪族藤原秀衡の末裔と伝えられ、尚板鼻への土着は慶長の頃であると推定されるのである。

文久元年、幕末の勤王佐幕の対立のはげしい時、公(皇室)武(幕府)合体の穏健派は孝明天皇の皇妹和宮(かずのみや)親子内親王を、14代将軍徳川家茂の簾中としてご降下を秦請したのであるが、宮は「・・・此の儀恐れ入れども幾重にもお断り申したく・・・」と心ならずも本陣書院に入り仮の宿をとらせられることとなった。
全道中警護の藩12、途中宿次ぎの藩29、伝馬の人夫約3万という前代未聞の大行列であった。

途中各宿駅は

(一)三日間は、上下旅人の通行止め。

(二)二階雨戸を締め切り目貼りのこと。

(三)表には水を満たし天水桶を置くこと。

(四)表屋根に留石板を添えること。

(五)当日はたき火無用のこと。

(六)表障子を明け払い奥まで見透かしにすること。

(七)掛看板、わらじの類ははずしおくこと。

(八)当日水車其他鳴物差止のこと。

(九)身元不審人等置かぬこと。

高貴の姫君の御降下はこの時に始まったものではなく、そのほとんどが中山道であった。しかし、この時に限っての厳重な警固は、時の人心の動揺が他に比すべきものがなかったからである。
御寝(ぎょしん)なされたお室の床板の厚さはおよそ3センチメートルで、この床下に伊賀者といわれた警護が隠れて警護したと言われる。お年16歳の皇女は翌年(1862年文久2年)2月御婚儀、同3年家茂は上洛、勤王佐幕・攘夷開港の喧々囂々の中に新婚の生活も5年、21歳にして寡婦となられたのである。かくて其後10年にしてご他界された。まことに佳人薄命というべきであろう。
(安中市HP参照)




所在:群馬県安中市板鼻1
評価:★★

本陣書院が現存しているのはなかなか貴重。現在も内部は約150年前の状態で保存されています。何かのテレビ番組でこの内部が紹介されているのを見た記憶がありますが、何の番組かは忘れました。
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Author: KD
由緒ある建造物、急峻な山城、遺構の残っていない平地城館、考証無視の模擬天守、すべて等しく探訪対象。一番好きな瞬間は超マイナーな城館で城址碑や標柱を見つけたとき。
© 2010 城館探訪記

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