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上野三碑 金井沢碑

上野三碑とは

1300年前の東アジアの文化交流を記す3つの石碑

日本列島東部の古代上野国[こうずけのくに](現在の群馬県)に存在する三つの石碑「上野三碑[こうずけさんぴ]」は、日本に18例しか現存しない古代(7~11世紀)の石碑のなかで最古の石碑群であり、大切に守られてきました。

それらは、山上碑[やまのうえひ](681年)、多胡碑[たごひ](711年頃)、金井沢碑[かないざわひ](726年)と呼ばれています。三碑の記録形態は、上野国に住み着いた朝鮮半島からの渡来人がもたらしたもので、かれらとの密接な交流の中で、当時の都(飛鳥、奈良)から遠く離れた地元の人々によって文字で刻まれたものです。山上碑は日本語の語順で漢字を並べた最古級の歴史資料です。多胡碑は、18世紀以来、中国の「書」の手本となってきました。金井沢碑は、この地での仏教の広がりを刻んでいます。これらの三碑は、東アジアにおける文化交流の実像を示す極めて重要な歴史資料です。

三碑に刻まれた内容は、中国を起源とする政治制度、漢字文化、インドを起源とする仏教が、ユーラシア東端の地である日本に到達しただけでなく、さらに遠く離れた東部の上野国に多数の渡来人の移動とともに伝来し、地元の人々に受容され、広まっていったことを証明しています。

このように三碑は、歴史的、文化的、社会的、政治的に、「世界の記憶」にふさわしい希有な価値を有するものです。
上野三碑HPより・以下引用同じ)


この上野三碑がこのたびユネスコ世界の記憶に登録されました。


登録を記念して当サイトでも各碑を紹介しておきましょう。
以下登録決定直前の今年10月中旬の探訪記録。


IMG_8679.jpg
まずは金井沢碑から

金井沢碑については根小屋城のページで一回紹介していますね。記事公開は2011年ですが、探訪したのは確か2007年の冬だったと記憶しています。上記ページでの掲載写真も2007年当時のもの。この時からどのように変わっているのかな・・・



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上記ページ1枚目の写真と同じ場所から。わお、キレイになりました。入口の碑もリペアしたのかな。駐車場も整備されており、観光客対策もばっちり。



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覆屋へ向かう道も新しく整備されています。
こうなってみると以前の寂れっぷりが少し懐かしくもなってきますw



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あっ、でも最後の部分は以前とあまり変わっていないや。なんだかほっとしますね。

解説員らしきシルバーのボランティアが2名いましたが、特に説明もなかったのではっきり言っていなくていいです(笑)



IMG_8689.jpg
特別史跡 金井沢碑 本物

前回見た時と変わらぬ姿。変わったのはカメラの性能か。約1300年前の内容が今に伝わるというのはすごいですよね。木はすぐに朽ちるけど石は何千年も残るのです。



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■読み方

上野国[こうずけのくに]群馬郡[くるまのこおり]下賛郷[しもさぬごう]高田里[たかだのさと]の三家子□が、七世[しちせい]父母と現在父母の為に、現在侍[はべ]る家刀自[いえとじ]の他田君目頬刀自[おさだのきみめづらとじ]、又児[こ]の加那刀自[かなとじ]、孫の物部君午足[もののべのきみうまたり]、次に※刀自[ひづめとじ]、次に若※刀自[わかひづめとじ]の合せて六口、又知識を結びし所の人、三家毛人[みやけのえみし]、次に知万呂、鍛師[かぬち]の礒部君身麻呂[いそべのきみみまろ]の合せて三口、是の如く知識を結び而[しこう]して天地に誓願し仕え奉[たてまつ]る石文[いしぶみ]

神亀[じんき]三年丙寅[へいいん(ひのえとら)]二月二十九日

※は「ひづめ」(馬偏に爪)

■現代語訳

上野国群馬郡下賛郷高田里に住む三家子□が(発願して)、祖先および父母の為に、ただいま家刀自(主婦)の立場にある他田君目頬刀自、その子の加那刀自、孫の物部君午足、次の※刀自、その子の若※刀自の合わせて六人、また既に仏の教えで結ばれた人たちである三家毛人、次の知万呂、鍛師の礒部君身麻呂の合わせて三人が、このように仏の教えによって(我が家と一族の繁栄を願って)お祈り申し上げる石文である。

神亀三年(七二六年)丙寅二月二十九日

*用語
家刀自―家を統括する女性の位。主婦。
知識―仏教の教え。
鍛師―製鉄や金属加工に携わる職。



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金井沢碑は、奈良時代前半の726(神亀[じんき]3)年に三家氏[みやけし]を名乗る豪族が、先祖の供養と一族の繁栄を祈って建てた石碑です。三家氏は、佐野三家[さののみやけ]を管理し、山上碑[やまのうえひ]を建てた豪族の子孫であると考えられます。

碑文には、三家氏を中心とした9人の名前が記されています。碑を建てたのは三家子□(□は欠字)という人物で、上野国群馬郡下賛郷高田里[こうずけのくにくるまのこおりしもさぬごうたかだのさと](現在の高崎市上佐野町・下佐野町周辺か)に住んでいたようです。続いて、三家子□の妻と娘[物部君[もののべのきみ]氏に嫁ぐ]、孫3人の名前が登場します(グループ1)。この6人ほか、同族とみられる三家毛人[みやけのえみし]・知万呂[ちまろ]の兄弟と礒部君身麻呂[いそべのきみみまろ]の3人の名がでてきます(グループ2)。

この9人のうち4人が女性で、結婚後も実家の氏の名で呼ばれていること、子供達と共に実家の祖先祭祀に参加していることから、家族のつながりに女性が大きな役割を果たしていたと考えられます。

さらに、地名の表記などからは、当時の行政制度(国郡郷里[こくぐんごうり]制)の整備状況が分かります。ちなみに、碑文に出てくる「群馬」の文字は、県内では最古の事例であり、群馬県の名前のルーツを知る上で非常に重要な資料です。

このように、金井沢碑からは、古代東国での仏教の広がり、家族関係、行政制度の実態などを知ることができます。


以前の説明板に記載されてた「かつては付近の農家の洗濯石として使用されていた」という内容は記されていませんでした。関係者的には「地域の人々に大事に扱われてきた」というストーリーに持っていきたいようなのでその話はカットされたのでしょう。個人的には以前のようなエピソードがあったほうが親しみがあって好きなのですけれどね。あと下の説明板に描かれている金井沢碑のカナピーちゃんかわいい。



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Author: KD
由緒ある建造物、急峻な山城、遺構の残っていない平地城館、考証無視の模擬天守、すべて等しく探訪対象。一番好きな瞬間は超マイナーな城館で城址碑や標柱を見つけたとき。
© 2010 城館探訪記

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