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天応寺(井伊家三代の墓碑)

2015年冬 足利・佐野探訪
 
城館以外の探訪記 その3 


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佐野市堀米町にある天応寺



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山門前にある「大老井伊直弼公之墓入口」

なぜこんなところに井伊直弼の墓が?
それはこの地が幕藩期に井伊家の統治下にあったため。

彦根藩の石高は35万石、うち5万石は幕府からの預かり米分(莫大!)で、実質は30万石。近江の所領は28万石ほどで、残り2万石は飛び地領を合わせたもの。飛び地には武蔵国荏原郡や多摩郡、そして下野国安蘇郡(佐野領)があり、2万石のうち1万8千石近くは佐野領で占められていたようです。ちなみに佐野氏の旧領全域を井伊家が治めたのではなく、堀田家や旗本などと分割して統治されていました。



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本堂



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井伊家の家紋が!



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裏手の墓地の一番高いところに門構えがこしらえてあります。



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佐野地方は慶長19年(1614)佐野家の所領が没収されて以来、三度の変遷を経て寛永10年(1633)彦根藩主井伊直孝の領地になった。このことはかつての戦国大名佐野家の伝統を一掃するというねらいもあったが、佐野が越名・馬門河岸により江戸へと通じていたことや、東照宮の修造や護衛の任務を負わせることも考慮されたようである。以下略(説明板参照)




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彦根藩井伊家墓碑

向かって右から2代藩主直孝、3代藩主直澄、13代藩主直弼のもので、いずれも遺髪を埋葬したものと伝えられています。

ここで一つ余談を。桜田門外で水戸浪士らに暗殺された井伊直弼の墓は東京都世田谷区の豪徳寺にあり、都の史跡に指定されています(ちなみに世田谷も彦根藩の飛び地領)。しかし2009年、老朽化した墓の修繕のため墓石の地下を1.5mほど掘り返したところ、遺体を埋葬する石室が確認されませんでした。さらに2010年には東京工業大学によるレーダーを用いた探索が行われ、3mの深さまで何も埋まっていないことが確認されました。直弼の墓の隣にある正妻・昌子の墓には石室が確認されているにもかかわらず。これはつまり、直弼は豪徳寺の墓には埋葬されていない(可能性が高い)ことになります。

ではどこに埋葬されたか。豪徳寺以外だとしたら可能性が高いのは彦根市にある天寧寺。天寧寺には直弼の血の染みた衣服や土を埋葬したとされてきましたが、遺品と共に遺体が埋葬された可能性もあります。ただ秘密裏に埋葬するには距離が遠すぎる気もします。

可能性はより小さいですが、ここ天応寺も候補に挙げられます。江戸からほど近く、適度に寂れたこの地なら、遺体を秘密裏に運び込み埋葬するにはに都合がよいかもしれません・・・

しかし実際のところ直弼がどこに埋葬されたのか現在もわからず、ミステリーのままになっています。

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Author: KD
由緒ある建造物、急峻な山城、遺構の残っていない平地城館、考証無視の模擬天守、すべて等しく探訪対象。一番好きな瞬間は超マイナーな城館で城址碑や標柱を見つけたとき。
© 2010 城館探訪記

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