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阿曽沼城 ~800年前の壕が残る阿曽沼氏居城~

2015年冬 足利・佐野探訪

堀田佐野城の次に向かったのが佐野市浅沼町にある阿曽沼城。浅沼八幡宮の周辺が城域となっています。



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浅沼八幡宮。目標物がある城館は訪問が容易なのでありがたい。



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標柱                   八百年祭記念碑

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城址碑!

佐野市指定史跡ということで表示物も豊富。城址碑の裏面には城と阿曽沼氏の沿革がびっちり刻まれていますが、長文につき掲載は割愛(笑)



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阿曽沼城
阿曽沼城は、寿永元年(1182)に、佐野氏の一族である阿曽沼四郎広綱が築いたといわれている。城域と推測される浅沼八幡宮の東側に、土塁と堀跡が残存している。城域の範囲は、東西約180m、南北約230mになるものと思われる。

おしどり塚歌碑
自然石を使った碑面に「日くるればさそひしものを 安蘇沼のまこもがくれの ひとりねぞうき」とある。本歌は、弘安6年(1283)、無住一円の著した仏教説話集「沙石集」の中に、物語と共にのっている。(説明板参照)




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おしどり塚歌碑

裏面には天保2年(1831)の表示も見えます。



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浅沼八幡宮社殿

この裏側に土塁と堀が残るといいますが・・・



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なんだか物々しい

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この地はおよそ800年前に阿曽沼民部大輔広綱によって築かれ戦国末に廃城となるまでの400年間阿曽沼城のあった所である。

鎌倉幕府の有力な武将阿曽沼(浅沼)氏は、この城によって本拠地阿曽沼郷をはじめ、軍功によって賜わった遠野(岩手県遠野市一帯)、世能(広島県の一部)、飯田(長野県飯田市)その他の所領を統治した。城は鎌倉時代の他の城と同じく周囲に濠をめぐらし土塁と防柵に囲まれた典型的な方形平城で、約4600平方メートルの広さであった。(説明板参照)


阿曽沼氏の祖・阿曽沼広綱。ずいぶん活躍した武将のようで、遠野の地で阿曽沼公歴代の碑を探訪した際にこの阿曽沼城を訪れたことを思い起こしましたよ。遠野の地で阿曽沼氏は横田城鍋倉城などを築いています。



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神社東側の残存堀

800年前から残る見事な空堀。堀底に降りる石段も備わっているのですが、「堀の中には絶対に入らないこと」という表示があったので上からの観察にとどめました。神社側にはロープが張り巡らされ、道路側はフェンスで完全にシャットアウト。かなり厳重な警戒。



所在:栃木県佐野市浅沼町
評価:★★

遺構としては神社背後の堀くらいなものですが、表示物が豊富なことと歴史性、阿曽沼氏との奇妙な縁のようなものも感じ二つ星進呈。物々しい表示はゴミの不法投棄を警戒してのものと思われますが、この地元の人の気持ちがともすれば簡単に湮滅してしまいそうな平地城館の堀をここまで守ってきたことにつながるのかもしれません。
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Author: KD
由緒ある建造物、急峻な山城、遺構の残っていない平地城館、考証無視の模擬天守、すべて等しく探訪対象。一番好きな瞬間は超マイナーな城館で城址碑や標柱を見つけたとき。
© 2010 城館探訪記

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