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小野但馬守政次 終焉の地

井伊直親の墓からR257を北上し井伊谷へ。次の目的地はちょうど探訪時の直近の大河放送回(第33回)の紀行に登場した「伝 小野但馬守の供養塔」。場所は井伊谷城の東側麓にあります。詳細は公式の紀行のページを参考。

左手に井伊谷城、右手に三岳城と久しぶりの光景を眺めつつ、該当地に到着。しかし車を停める場所がありません。少し山側に入ると道が広くなったところがあるのでちょっとここで路肩に停車させてもらおうかなと思ったところ、2人のおじさんが近づいてくる。あっ、これは「ここに停められたら困ります」と注意を受けるパターンかとドキドキしながら窓を開けると、「政次の供養塔を見に来られたのですか。この下にあるので車はここに停めておいて大丈夫ですよ」と両人ともにこやかに教えてくれました。なんて親切なのでしょう。秋葉神社上社のじいさんとは真逆の方たちだ。



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車を停めさせてもらった場所の近くで行われていた納涼祭。道理で妙に人手が多いと思った。



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で、こちらが件の石碑群。「小野但馬守政次 終焉の地」の看板も設置されています。この看板がないと素通りしてしまいそうです。中でもひときわ供え物がされている石塔が一つ。



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伝 小野但馬守の供養塔

ドラマの政次は独身を貫いていましたが、現実の小野但馬には息子がおり、両脇の石は二人の息子の墓(供養塔)であるともいわれています。

小野の一族は、室町時代には井伊谷で暮らしていたといいます。もともと朝廷に仕えていた由緒ある家柄だと伝わっています。小野家代々の墓は井伊家の菩提寺・龍潭寺にあります。墓所に入り、最初に目に付くのが小野家の墓です。小野但馬守の弟といわれる玄蕃の墓もあります。しかし、但馬の墓は見当たりません。

井伊家の仕置き場だったとされる蟹淵(がにぶち)。但馬は家康が遠江へ侵攻した際、この辺りで処刑されたといいます。蟹淵からほど近いところに但馬のものだという供養塔があります。地元の人々が鎮魂のために建立したものだと伝えられています。井伊家の筆頭家老として尽力した小野但馬守。その生涯は井伊家の歴史とともに今も語り継がれているのです。(紀行HP参照)

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Author: KD
由緒ある建造物、急峻な山城、遺構の残っていない平地城館、考証無視の模擬天守、すべて等しく探訪対象。一番好きな瞬間は超マイナーな城館で城址碑や標柱を見つけたとき。
© 2010 城館探訪記

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