井伊直親の墓
- 2017/09/23
- 00:00
蜂前神社の北、都田川北岸の堤防下に井伊直親の墓はあります。R257で都田川を渡ってすぐのところを左折すればたどり着きますが、その地点をやり過ごしてしまったため大回りする羽目に。
大回りした結果西側から堤防上に上がってきました。墓所の場所には旗が立っているので少し離れた場所からも確認できます。堤防上は1.5車線もないような道ですが、墓所の入口付近にわずかな余白があるので停車することは可能。
笛の名手で、美貌の若武者だったとされる直親は、わずか27歳でこの世を去りました。大河ドラマでは第12回の紀行でこの墓所が登場。三浦春馬さん演じるドラマでの直親さんは討たれた前後のシーンでは悲壮感が漂っていましたが、その後の話の展開で大きく印象が変わりましたね。その雰囲気は息子虎松に引き継がれたようです。
<井伊直親の墓>
『井伊直虎GUIDE BOOK』No.1。達成状況【20/57】
大回りした結果西側から堤防上に上がってきました。墓所の場所には旗が立っているので少し離れた場所からも確認できます。堤防上は1.5車線もないような道ですが、墓所の入口付近にわずかな余白があるので停車することは可能。
井伊直親公の墓
井伊家16代井伊肥後守直親は井伊直満の子で、天文13年(1544)、父が家臣の讒言のため今川義元により殺された時は9歳でしたが、難が及ぶことを恐れ信州松源寺へ逃れました。
弘治元年(1555)、20歳の時に井伊谷に帰り直盛の養子となり、奥山因幡守の娘を妻とし、祝田に住みました。ところが永禄5年(1562)、家人小野但馬が今川氏真に讒言をしたため、直親は弁明のため従者19人と共に駿府へ向かいました。その途中の12月14日、掛川城主朝比奈備中守により直親は殺害されました。27歳のことでした。
遺骸はこの地に運ばれ、都田河畔で火葬にし墓が建てられました。法名は「大藤寺殿剣峯宗惠大居士」といいます。
直親の子直政は、徳川家康に仕え、後に譜代の重臣として近江国彦根藩祖となりましす。
嘉永4年(1851)、井伊直弼は墓参に訪れたおり灯籠一対を寄進しました。その墓は200mほど東にありましたが、堤防移築のため昭和52年(1977)12月、ここに移転しました。(説明板参照)
笛の名手で、美貌の若武者だったとされる直親は、わずか27歳でこの世を去りました。大河ドラマでは第12回の紀行でこの墓所が登場。三浦春馬さん演じるドラマでの直親さんは討たれた前後のシーンでは悲壮感が漂っていましたが、その後の話の展開で大きく印象が変わりましたね。その雰囲気は息子虎松に引き継がれたようです。
<井伊直親の墓>
『井伊直虎GUIDE BOOK』No.1。達成状況【20/57】
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