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蜂前神社

三方ヶ原古戦場から祝田坂を下ると国道沿い左手に「蜂前神社」の表示が目に入ります。いわゆる「井伊谷徳政」騒ぎの際に舞台の一つとなったところで、大河ドラマでは第13回第15回第30回で徳政令騒動について描いています。紀行では第14回に蜂前神社が登場。



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蜂前神社

神社の前に広がる平野もかつては今川家の家臣として井伊家の領地でした。この一帯をかつては刑部郷といい、これは奈良時代から続く古い地名です。井伊直盛の代に今川義元に謀反を疑われた一族の直満・直義が殺害され、直満の子・亀之丞は信州に身を隠し、許婚だった直盛の娘も出家してしまいます。
弘治元年(1555)帰還した亀之丞は名を直親と改め、神社のある祝田村に住みました。桶狭間の合戦で主君・義元とともに直盛が戦死すると直親が家督を継ぎましたが、今川家から徳川家への離反を疑われて謀殺されます。存亡の危機を迎えた井伊家は、出家していた直盛の娘を当主として迎えました。女性として井伊谷領主を継いだ井伊直虎に対し、永禄9年(1566)、今川氏真は井伊谷及び祝田・都田の地域に徳政令(賃貸関係の破棄)を命じました。
直虎は独自の判断で、徳政令の実施を2年間押しとどめています。蜂前神社には、その時の経過がわかる古文書が残っています。(説明板参照)




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祝田郷徳政の事、去る寅年、御判形を以って仰せつけられ候といえども、銭主方難渋せしめ、未だに落着なきについて、本百姓訴訟せしむるの条、先の御判形の旨に任じて申しつくるところなり。前々の筋目を以って名職等之を請け取るべく、たとえ銭主方重ねて訴訟企てるといえども、許容すべからざるもの也。よって件の如し。

署名花押


蜂前神社に残る古文書(関口氏経次郎直虎連署判物)の署名と花押は、直虎が残した唯一の直筆とされています。



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蜂前神社

瓦葺の神社建築。二宮神社も渭伊神社も瓦葺きだし、このあたりではあまり仏教建築との差異を意識していないのでしょうか。建物から吊り下げられたヒモを引くと約4分間の音声案内が流れます。



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中には先ほどの連署判物の写しなど



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境内にはおとわ役を演じた新井美羽さんの手紙があったり、関連する各種資料が展示されたりしています。その中の一つ『匂坂直興書状』には、「詳しいことは小野但馬守に相談するように」という記述も見られました。


<蜂前神社>
『井伊直虎GUIDE BOOK』No.3。達成状況【19/57】
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由緒ある建造物、急峻な山城、遺構の残っていない平地城館、考証無視の模擬天守、すべて等しく探訪対象。一番好きな瞬間は超マイナーな城館で城址碑や標柱を見つけたとき。
© 2010 城館探訪記

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