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青崩峠(後編)

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前編ラストの林道終点部分。正確にはこの先にもう少しだけ車道は続いていますが、少し進むと未舗装の道となってしまいます。この峠については、ナビなしの先代プリウス号(→参照)に乗ってた頃に常に携帯していた愛用の昭文社マップルに「あまりの崩落の激しさに日本のトンネル技術が敗退」と記されていたのが印象深く、敬意をもって最終区間くらいは徒歩で踏破したいと考えこの場所からのスタートです。



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青崩峠まで徒歩20分

ちなみにですけど、ここにきてなんか調子が悪いです。頭痛いし怠いし。多分例によってほぼ徹夜状態で早朝からずっと動きっぱなしなのが原因だと思います。一晩寝ればどんな不調でも治るのが私の強みなのですが、まだ真昼間なので今から寝るわけにもいきません。しょうがないので強行します。



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石畳の道。何代も整備が続けられ今の姿となったのでしょう。昔の旅人も同じところを通っていたと考えると感慨深いものがあります。登り始めてすぐ現れる木橋も風情あります。橋を渡った先には説明板が。



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武田信玄の腰掛け岩

1572年(元亀三年)十月、京を目指し甲府を出発した武田信玄は、二万七千の兵を率い天下の難所青崩峠を越えて、同年十二月徳川家康との「三方原の戦い」に挑みました。
この岩は、その遠征の途中に信玄が休憩のため座ったものと言われています。(説明板より)



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その腰掛岩。信州側から峠を越えてすぐのこの場所で休憩するのもどうかと思いますが、腰を下ろすのには適した形状の岩です。それにしても2万7千の兵がこの峠を通過するというと、峠区間は狭いので1列縦隊になってしまいますが、仮に1m間隔で並んでいたとして27㎞の大行列になっていたわけですよね。実際は兵站部隊などかなりの数が兵越峠から進み、青崩峠は信玄ほか本軍が進んだという話もあるようですが、いずれにせよ峠を越える時の様子はかなり壮観だったことでしょう。



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しばらく登ると再び木橋

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心安らぐの世界

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苔むした石垣

暑さが戻った夏の終わりの日で、すぐに汗ばんできます。そして頭痛も増加。木々の中を歩くので日差しの直撃がないのは助かります。今年の夏はずっと天候不順で雨の日も多かったですが、その影響か峠道は今の季節には珍しいほどの緑の空間と化しています。ああ、この景色は素晴らしいです。心が安らぎます。そして現れた石垣・・・の場所から上を見上げると車道が見えます。ここが林道終点地点か。ここまで車で来ればだいぶ省エネが図られますね。でもいいです。美しい緑の光景が見れたから。どうやら頭痛もおさまったようです。



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石垣の上のちょっとした平場空間は建次屋敷跡。ここには2つの説明板があります。

建次屋敷跡

秋葉街道往来の盛んな当時、ここには茶屋がありました。ある夏の夜、毎日一生懸命働く夫婦の日銭の入るのを見込んで四名の盗賊が押し入りました。盗賊は亭主を大黒柱に縛りつけ、女房には乱暴をはたらき、最後には酒樽を亭主に投げつけ、お金を奪って逃亡したという悲しい言い伝えが残っています。(説明板より)


うむ。「殺されました」とかよりもよっぽどリアルな内容です。ちなみにもう一つの説明板には同じ内容ながら「若女房の手足を押さえつけ・・・」などともうちょっとだけ生々しい描写がされています。いつの世も強盗のやることは変わらんな。


建次屋敷跡をすぎると林道終点からの道と合流。この場所の看板に「青崩峠徒歩5分、兵越峠徒歩2時間」の表示がありました。2時間・・・兵越峠で見かけた青崩峠への遊歩道、進まんといてよかった・・・



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ここからは最後の登り。これまでで最大級の橋を渡り、もう一つ木橋をわたると峠に到着です。車を止めた場所からここまでのタイムは14分で、表示タイムの7割。表示タイムの6割くらいで到達するのが個人的平均タイムなので、やはり体調不良の影響が出ていたのでしょう。



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青崩峠 標高1082m(静岡県指定史跡)

青崩峠は、遠州と信州の国境にあって古くからある信州街道(秋葉街道ともいう)の峠である。
この道は昔から海の幸や山の幸が馬や人の背によってこの峠を越して運ばれたことから「塩の道」ともいわれている道である。
また、戦国時代、武田信玄の軍勢が南攻のためこの峠を越えたと伝えられ、近世には多くの人々が信州、遠州、三河の神社、仏閣に参詣するためにこの峠を越した。
近代においては、可憐な少女達が製糸工女として他郷で働くために越した峠でもあり、多くのロマンと歴史を刻む峠である。(説明板より)


青崩峠(あおくずれとうげ)は静岡県浜松市天竜区と長野県飯田市の間にある標高1,082mの峠である。峠付近の地質構造は、中央構造線による破砕帯となっており、山腹に広がるむき出しになった青い岩盤から峠の名が付けられた。静岡県側・長野県側ともに、国道152号の端点から林道、遊歩道(かつての塩の道)を歩いて峠にたどり着くことができる。武田信玄による1572年の徳川領侵攻において、軍兵の一部が通過したことで知られている。

国道152号の点線国道区間で未通区域となっている。1987年より三遠南信自動車道の一部としても位置づけられているが、地形の急峻さと地盤が脆弱なために道路(青崩峠道路)を通すことが出来ないと考えられていた。しかし2013年には、青崩峠直下よりも西寄りにトンネルを通す形で事業化され、着工している。ただし、2015年3月の時点では、開通のめどは立っていない。青崩峠の迂回のために兵越峠直下を通過するルートが選択され、草木トンネルが建設されたが、兵越峠の地盤も脆弱なことが判明し、結局地盤のやや硬い青崩峠西側を通るルートに変更された経緯がある。大型以外の車両は草木トンネルを通って隣接する兵越林道を使用することにより迂回が可能。(wiki参照)




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「青崩峠」の碑の先に登り階段があったのでごく自然に登って行ってしまったが、しばし進んでからハッと気づく。目的地は峠で、それはさっきの場所だろって。山を歩くときは大抵の場合目的地はピーク地点なので、上に続く階段があると無意識に登ってしまうのです。ちなみにこの道は熊伏山へ続く登山道のようです。



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再び峠に戻り、遠州側から見た光景



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信州側から見た峠の光景

多くの石仏が祀られ、昔からの歴史ある峠道であることが実感できました。
む、風が強い。天候が変わってきたようだ。急ぎ下山します。

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Author: KD
由緒ある建造物、急峻な山城、遺構の残っていない平地城館、考証無視の模擬天守、すべて等しく探訪対象。一番好きな瞬間は超マイナーな城館で城址碑や標柱を見つけたとき。
© 2010 城館探訪記

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