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伝法寺館 ~南部氏家臣・津村氏の居城~

五戸町図書館を後にし、R4奥州街道を北上。次なる目的地は3日目メインの探訪地である七戸城



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七戸の中心部まで26㎞

快調に車を走らせていると、ふと視界に気になるものが横切る。
急遽Uターン。



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標柱発見

道路沿いには看板や標柱の類などそれこそ腐るほどあるのですが、城館に関するものは異なる空気をまとっているのです。この異なる空気を一瞬で察知できるようになればあなたも標柱ハンターの仲間入り。



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現在確認できる伝法寺館は北郭と南郭の2郭構造となっています。北郭の一部を国道が横切っており、写真はその部分。北郭と南郭の間は二重堀となっており、国道西側の未舗装の道路がその堀跡。とはいっても夏場で藪が酷かったため二重だったかどうかはよくわからずw他のサイトの訪問記を見るとかなり規模が大きい堀であったようです。やはり夏場はダメだな。



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北郭側には土塁らしきや天然の沢に削られた急峻な外郭線などが確認できましたが、先に進むと民家の敷地となったので撤収。南郭側にも軽く進んでみましたが同じような写真となったので掲載は省略。台地上に築かれた平山城で、周囲を流れる沢を巧みに利用して要害性を高めていることは感じ取れます。


さて、たまたま見つけた伝法寺館ですが、築城時期や築城主についてははっきりしません。応徳3年(1086)、陸奥に下向した日宮守古親王の末裔・日宮中務大夫が地頭職の南部氏に出仕し、承久元年(1219)ごろ築城したと伝わります。その後、南部氏の下向に随行した南部譜代の津村越後守が伝法寺館の主郭に入り、日宮氏は二郭に移ったとされます。天正19年(1591)「九戸政実の乱」が勃発すると、三戸と七戸の境目にある伝法寺館は九戸方の七戸家国によって急襲されるも、城主津村伝右衛門はこれを撃退したと伝えられています。




所在:青森県十和田市伝法寺
評価:★☆

評価は自分が見学できた範囲でのもの。青森県教育委員会発行の「青森県の中世城館」では、県内に400ヶ所以上の中世の「館」があったと報告されています。このうち十和田市の「館」は豊良館小田館東白上館西白上館下山館上館洞内城大不動館藤島館米田館伝法寺館滝沢館赤沼館長沢館川代館三日市館沢田館奥瀬館野月館芦名沢館の20ヵ所であるといいます。今更なことですが一応補足しますと、ここでいう「館」というのは中世の城のことで、平地居館もあれば山城の場合もあります。私が「城郭」よりも「城館」という言葉を意識的に多用している理由は、そちらの方がより多くのものを内包することができるためです。「城郭」だと縄張りがどうこうと語れるような立派な城に限定されてしまいますからね。

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Author: KD
由緒ある建造物、急峻な山城、遺構の残っていない平地城館、考証無視の模擬天守、すべて等しく探訪対象。一番好きな瞬間は超マイナーな城館で城址碑や標柱を見つけたとき。
© 2010 城館探訪記

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