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義経北行伝説 おがみ神社

3日目の最初の探訪は八戸市三八城公園近くのこちらの神社。



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龗(おがみ)神社

八戸市内で最古といわれるこの神社にはある伝説が残っています。



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義経北行伝説ゆかりの地

義経北行についてはいわゆる「判官びいき」から作り出された伝説であるとされていますが、義経一行がこの地に訪れ居住した痕跡が現地の文献や地名・苗字などに残されているということもまた事実です。「世界ふしぎ発見!」でも紹介されました。

以下引用はwikiから。

龗神社(おがみじんじゃ)は、青森県八戸市内丸に鎮座する、八戸市内で最古と言われる神社である。その歴史は記録上判断できる限りでも約900年前の平安後期にまで遡り、創建の理由などを類推するとさらに遡ると考えられている。正しくは法霊山龗神社(ほうりょうさんおがみじんじゃ)といい、法霊神社、法霊山という通称でも呼ばれている。

江戸になり盛岡に南部藩が誕生すると、その領内にある八戸城の館神とされていたが、江戸時代初期の1665(寛文5)年に八戸藩が成立すると藩神の地位を得て八戸藩総鎮守となり、大名家南部氏の祈願所となった。それに伴い規模拡張とともに八戸城内二の丸に遷座された事もあり、当時は一般領民は参拝が許されない神社だった。

現在では、八戸市中心部にある神社という場所柄や総鎮守神という特性などから、地元の老舗企業や中央大手企業の支社支店などの祭祀は龗神社の奉仕となる事が多く、地元経済界の一部では龗神社による祭祀執行が名誉な事と考える風潮があるようである。この影響もあり龗神社の崇敬者はとにかく熱狂的な人々が多く、法霊山は八戸にとって特別な神社であり、格段に厚く祀らなければならないとする主張がいまだに根強く存在している。

また、八戸三社大祭(重要無形民俗文化財)発祥の神社であり、現在も神社が所蔵している御神輿が長者山に渡る事が三社大祭の本来の由緒である。

この神社の「おがみ」の漢字は珍しい文字で、雨かんむりの下に「口」を横並びに3つ、その下に「龍」を書く。

一説によると、源義経の正室と言われる京の久我大臣(こがのおとど)の娘が自害した場所と伝わり、その御霊が祀られているという伝説が伝えられている場所でもある。


義経北行伝説

法霊山龗神社は、源義経は平泉で死なずに北へ逃亡したという、所謂「義経北行伝説」の舞台でもある。

義経の北の方(正室)である久我大臣の姫は、義経北行の際に同行しており、その北の方が亡くなって葬られたのが龗神社だと言われている。その北の方が使っていたという手鏡が現在も所蔵されている。

また、医師が老人の先祖の話を書き取ったとされる『類家稲荷大明神縁起』という古文書が所蔵されており(現在は八戸市立図書館が保存・管理)、平泉を脱出した義経一行が八戸に到着し、滞在した経緯が記されている。




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社殿

現在の本殿は、約190年前に大名南部家より寄進されたものであるが、その前までは現在神楽殿となっている建物が本殿であった。当時現在の三八城公園あたりにあった法霊社が遷座するにあたり、現在地まで丸太などを転がしながら牽引してきたと言われている。

現本殿は造りが特徴的で、本殿階最上段大床に出ると外に出る扉があり、その扉を開けて一度回廊に出て、外陣東側の扉から外陣内に入るという形式である。しかしながら外陣正面にも御扉はあり開扉可能であるが、御鍵がなく、御鍵は外陣東側の外に取り付けられているという不思議な構造になっている。

拝殿も現本殿と同時期に南部家より寄進された建物である。

社殿全体は権現造の様式で、入母屋造の本殿と流造の屋根がかけられた拝殿の間に石の間(幣殿)が存在するという形式となっているが、昭和期にこの幣殿に覆いがかけられ、3殿全てが室内でつながっているという造りになっている。




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八戸三社大祭と山車人形(太公望・武田信玄)

八戸三社大祭

享保6年(1721年)に行われた長者山虚空蔵堂(新羅神社)への神輿渡御に始まる。その後明治17年(1884年)から新羅神社との2社祭礼となり、その5年後に神明宮が加わり、現在の形となった。平成16年(2004年)に国の重要無形民俗文化財に指定されている。


訪問予定地ではなくたまたま見かけて立ち寄ったところでしたが、思いがけず義経北行伝説ゆかりの地を探訪することができました。八戸市内には他にも長者山新羅神社や小田八幡宮、さらには種差海岸も伝説ゆかりの地であるといいます。このあたり、手元の八戸ガイドブックに詳しく掲載されています。無料のガイドブックにもかかわらずそこらに市販されている専門書よりよっぽど情報量豊富なので、入手おすすめです。

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Author: KD
由緒ある建造物、急峻な山城、遺構の残っていない平地城館、考証無視の模擬天守、すべて等しく探訪対象。一番好きな瞬間は超マイナーな城館で城址碑や標柱を見つけたとき。
© 2010 城館探訪記

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