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宇部館 ~野田氏初期の居館~

伏津館からR45を北へ進み、野田村から久慈市の宇部地区へ。宇部地区の中心部近く、宇部川とその支流の北の越川に挟まれた丘陵の先端部に築かれたのが宇部館です。



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丘陵先端下にある説明板

この説明板の手前は住宅街となっており、駐車スペースはありません。住宅地の奥に入る道の手前で路駐するのがベターと思われます。私は周辺住民の迷惑にならないように注意しつつ、かつできるだけ近くに停めるということを両立させるために相当無理な停め方をしましたが、詳細は伏せておきます(笑)



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丘陵の東麓から主郭に祀られている館八幡への参道が敷設されています。上記の説明板はこの登り口に設置されています。この登り道が当時の城道と一致しているかどうかは不明ですが、登りながら右手に郭跡らしきを確認することができます。



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振り返るとこんな感じ



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しばし登って主郭到着。平場面はかなり広めで、奥に館八幡が鎮座。説明板によると館の構造は東西に長い単郭式で、東西約150m、南北20~60mとありますが、ここに至るまでの東側の小郭群も城館の一部であるように思われます。



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館八幡

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周辺の様子

奥には土塁や虎口らしき、その背後には空堀が確認できます。この館は西へ続く尾根を二重の空堀で断ち切っていますが、藪のためあまり深入りはせずに撤収。




所在:岩手県久慈市宇部町第3地割
評価:★★

築城年代は定かではありませんが、『宇野人家禄』には宇部館の館主は宇部(海辺)氏であったと記されています。その後大永年間(1521~1527)頃に三戸南部氏の支流で一戸南部氏の後裔である南部源左衛門義親がこの地に入部して新たな館主となり、野田姓を名乗ったとされます。野田氏はその後古館野田城)を築いて居城を移し、宇部館はその支城となったとみられています。天正20年の野田城破却後、野田政親(直親)はこの宇部館に移ったとする説や、新館(新しい野田城)を築いたとする説があります。のちに野田氏は盛岡城下へ移り盛岡藩の重臣として活躍することになります。

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Author: KD
由緒ある建造物、急峻な山城、遺構の残っていない平地城館、考証無視の模擬天守、すべて等しく探訪対象。一番好きな瞬間は超マイナーな城館で城址碑や標柱を見つけたとき。
© 2010 城館探訪記

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