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伏津館 ~伏津新九郎忠信の居館か~

思惟大橋からはやや先を急ぎます。最近開通した三陸北道路(尾肝要道路)を使ってR45最高地点である閉伊坂峠(標高380m)をパス。続いて「北緯40度東端の村」普代村へ。ここも海岸線が魅力的なところですが、天候の都合上もう海岸には寄らないと決めてしまったのでスルーします。探索はまた次回に。さらに北上し野田村に入ります。浄土ヶ浜のビジターセンターで大量に入手したパンフは宮古から田野畑・普代・野田・そしてこの先の久慈・八戸に至るまで各自治体ごとのものが揃っており、それぞれ眺めているだけで楽しい造りとなっていますが、その中から野田村のパンフを見てみます。



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ようこそ野田村へ             伏津館
 
「野田のたからもの、見つけに行こう」と題したパンフの最終ページに記載のマップに「伏津館跡」の文字を発見。マップ上唯一記載されている城館であるため、それなりに整備されているところかもしれないと期待して立ち寄ってみることにしました。ちなみに読み方は「ふしつだて」ですが、地元では「ふづつだて」とも呼ばれているようです。



CIMG0852.jpg
該当地付近

・・・うーむ、マップ記載の該当地と思われる丘陵はすんなり見つかったのですが、整備されている様子はないなあ。周辺を注意深く観察しながら走行したのですが、案内標識の一つすらない。「伏津館」で検索すると、つい最近行われた発掘調査の現地説明会の様子を紹介したページがヒットし、それによると山上が切り開かれ、説明板なども展示されているのだが・・・

南側からは取り付くのは困難そうだったので、国土地理院の地形図とにらめっこして見つけた東側から丘陵上へ登る道を使って再トライ。



CIMG0853.jpg CIMG0854.jpg
CIMG0855.jpg CIMG0856.jpg
アタックポイントから突入するも藪が酷くなりついに撤退。こりゃダメだわ。遺構はともかく表示物を見つけられなかったのが痛い。しょうがないので道端にあった「野田村」の石柱を掲示しておきましょう。


この記事を作成するにあたり、改めて現地で確認したネット記事を再読しました。↓

(公財)岩手県文化振興事業団 埋蔵文化財センター「伏津館跡 現地説明会レポート」

上記ページのPDFファイルを開いて確認すると、どうも館への登り口は北西側にあったようです。南側と東側しか確認しなかったため見つけられませんでした。失敗したー。




所在:岩手県九戸郡野田村野田
評価:

平安時代には安倍氏の家臣である伏津新九郎忠信の居館であったと伝えられていますが、この時期の文献は残ってなく、詳細は不明。発掘調査からは縄文時代の遺構や中世の遺物が検出され、それぞれの時代の複合遺跡であると考えられています。野田村にはこの伏津館の他に古館新館玉川館といった城館が確認されており、古館新館野田城の候補地として挙げられています。次回訪問時には周辺の城館も合わせて再挑戦したいところですが、今回発掘された遺跡は調査終了後復興工事のため(どの範囲までかは不明ですが)壊されてしまうようです。「道路をつくるために遺跡を破壊するとはけしからん」みたいなことをたまに耳にするのですが、言うまでもなく現在の生活のほうが優先なので、残せるものは残すし、そうでないものは記録さえとれば壊してしまうのもやむを得ないというのが私の見解です。

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Author: KD
由緒ある建造物、急峻な山城、遺構の残っていない平地城館、考証無視の模擬天守、すべて等しく探訪対象。一番好きな瞬間は超マイナーな城館で城址碑や標柱を見つけたとき。
© 2010 城館探訪記

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