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たのはた物語 思惟大橋

鵜の巣断崖からR45に復帰し北上再開。ほどなくして現れるのが「道の駅たのはた」。「たのはた物語の碑」の案内表示が目に入ったので、ちょっと小休止して立ち寄ります。



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道の駅たのはた



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たのはた物語

田野畑村は、三陸リアス式海岸の西側に発達する海岸段丘と、それに連なる山地からなり、全体的起伏は標高百米から二百米の丘陵地に位置している。村内を東流する小河川は、いずれもみな深い浸食谷を刻み、その代表的渓谷として羅賀沢、松前沢、槙木沢、弥生沢などがある。
この渓谷が、かつては人々の通行を阻み、そのため田野畑村は陸の孤島と称された。
昔、田野畑村に赴任を命じられた県の役人や学校の先生が先ず出会う最初の難所が、深く険しい槙木沢。
「さて、行こうか、戻ろうか」と思案するのでこの坂を「思案坂」と呼んだ。
この坂をやっとの思いで越えると次は更に深く大きい松前沢が控えており、その往来の難渋さに職を投げ出して帰る谷ということでこの坂を「辞職坂」と呼んだ。
この二つの坂にまつわる逸話が数多く残されているが、それも今は昔語り、長い間の村民の悲願が叶い昭和四十年には「思案坂(槙木沢)」に全長二百四十米、谷底からの高さ百五米の鋼橋槙木沢橋が完成、昭和五十九年には「辞職坂(松前沢)」に全長三百十五米谷底からの高さ百二十米の鋼橋、思惟大橋(逆ローゼ橋としては全国有数の大規模)が完成、地域住民に大きな光明を与え、田野畑村を大きく変えた。
なお、思惟大橋の橋名は、教育の村、思考の村を象徴し、「人も心も運ぶ」という意味と深く思惟し続けていく田野畑村の願いを込めて命名した。
昭和六十一年十二月十四日


「職を投げ出して帰る谷」だなんてそんな大げさな、などと笑う前に実態を把握しておきましょう。該当箇所を国土地理院地形図で見てみると。



思案坂
思案坂

辞職坂
辞職坂

・・・これ、橋のない時代にどうやって往来していたの?辞職坂のほうは旧道(昭和59年までの主要道路)の姿が確認できますが、思案坂のほうは車道の旧道らしきものがありません*(海側にものすごく遠巻きの道があるが、これが当時の国道かどうかは不明)。まさか徒歩というわけではないでしょうが、戦前くらいまでならともかく、昭和40年まで橋なしの状態だったというのですから、そのころ村外から赴任した人たちは谷を渡るのに尋常じゃない苦労をしたんでしょうね。心が折れても不思議ではない。

*注:思案坂大橋の西側の山肌を巻く点線が旧国道であったらしい。
廃道探索のトップサイト『山さ行がねが』「国道45号線旧道 槇木沢橋」参照



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思惟大橋

谷底までの高さ120mというのは相当のもの。この橋が完成したことにより沢を越えての往来は劇的に容易になりました。霧のため景観は望めませんでしたが、逆にこの谷の深さをより想像してしまう効果もあったかもしれません。

ちなみにこの橋、自殺者も多いんだそうな。そういわれるとそんな風な気配を感じてしまうよ。
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Author: KD
由緒ある建造物、急峻な山城、遺構の残っていない平地城館、考証無視の模擬天守、すべて等しく探訪対象。一番好きな瞬間は超マイナーな城館で城址碑や標柱を見つけたとき。
© 2010 城館探訪記

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