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安倍屋敷 ~遠野の貞任伝説~

カッパ淵のすぐ裏に説明板が設置されています。


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安倍(阿部)屋敷

『遠野物語』第六八話に「安倍氏という家ありて貞任の末なりと云う。昔は栄えたる家なり。今も屋敷の周囲には堀ありて水を通ず。刀剣、馬具あまたあり」と記されている。昔からこの地は屯館と呼ばれ、平安時代後期に北上川流域に勢力を誇った安倍氏の一族(貞任の弟・北浦六郎重任)が屋敷を構えたと伝えられている。現在も堀の跡などの遺構が残り、この地に続く阿部氏は安倍氏の転じたものと伝えられている。屋敷跡の東北にある稲荷社は、約400年前に安倍氏の養子となった人が甲州(山梨県)より勧請し氏神としたもので、近郷でも古い社の一つといわれている。明治の初めごろまで旧暦2月15日の祭例日には「ダンビラケー(ダンビラ祭)」が行われていた。近隣の山伏を一堂に集めて、湯立ちの儀式を行ない巫女が笹を振りながら巫女舞を舞ったといわれる。近くにカッパ淵がある。(説明板参照)




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阿部屋敷(別名 屯館

陸奥六郡に威勢を誇った安倍氏の一族が、天喜・康平のころ(1050年ごろ)から構えた屋敷で、豪壮な直屋の母屋には数十名の家族が住み、土塁と塀とでかこまれていました。八幡座館の八幡太郎(源義家)の軍と小烏瀬川を挟んで矢をうち合ったと伝わる的場跡もあります。




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稲荷社

『遠野物語』における「安倍伝説」(65~68話 wikiより)

早池峰は御影石の山で、この山には小国の方角へ向いた場所に安倍ヶ城という岩窟がある。険しい崖の中程にあり、人が容易に辿り着けない場所であるが、ここには今でも安倍貞任の母が住んでいると伝わっている。翌日は雨になりそうな夕方などには岩戸を閉ざす音が聞こえてくるとされ、小国や附馬牛の人々は安倍ヶ城の錠の音がするから明日は雨になる、などと言う事があるという。(65話)




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土塁

同じく早池峰山の附馬牛寄りの登り口にも安倍屋敷と呼ばれる岩窟があり、とにかく早池峰山は安倍貞任に縁のある山である。小国側の入口にも八幡太郎の討ち死にした家臣を埋めたとされる塚が3つ存在している。(66話)




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土塁

安倍貞任に関する伝説はこのほかにも多く、かつては橋野といわれた栗橋村と土淵村の境、山口から2~3里ほど登った山中に開けた場所がある。そのあたりは貞任と呼ばれ、沼があり、かつて安倍貞任が馬を休ませた場所とも陣屋を構えた場所とも伝えられている。(67話)




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堀跡

土淵村には安倍貞任の末裔という家があり、その家は今も屋敷の周りの堀には水をたたえ、刀剣や馬具の類も多数残されている。当主は安倍与右衛門という者で、村会議員を務めている。安倍貞任の子孫はこの家の他にも多く、盛岡の安倍館の近くにもある。小烏瀬川の折れ曲がった場所には八幡太郎が陣を構えたとされる場所があり、ここから遠野の町へ向かった場所に八幡山という小高い丘があり、安倍貞任はここに陣を構えたという。これらの場所は20余町ほど離れており、一連の戦の出来事から名前がつけられたと考えられている似田貝、あるいは足洗川という地名があり、矢戦をしたという伝承を裏付けるように周辺からは鏃が発掘されたこともある。(68話)




所在:岩手県遠野市土淵町土淵
評価:★★

今回の遠征の初っ端で訪れた鳥海柵から、安倍氏関連の城館はよく出てきます。それだけ広範囲に勢力が根付いていたのですね。ちなみに安倍貞任のwikiを見ると、現首相はこの貞任の末裔を自認しているんだそうな。ホンマかいな。あとは河童のおじいさんこと先代カッパ淵の主・阿部与一さんはここに住んでいたんだそうですね。もろもろ印象深かったのでやや甘めの評価。
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Author: KD
由緒ある建造物、急峻な山城、遺構の残っていない平地城館、考証無視の模擬天守、すべて等しく探訪対象。一番好きな瞬間は超マイナーな城館で城址碑や標柱を見つけたとき。
© 2010 城館探訪記

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