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阿曽沼公歴代の碑(墓)(遠野遺産 第84号)

太郎淵から100mほど先に進んだところにあるのが「阿曽沼公歴代の墓」。道路沿いにある塚のようなちょっとした高台がそれ。駐車場はないので路駐。



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看板に表示されている「遠野遺産第84号」の登録名は「阿曽沼公歴代の碑」。この場所も「清心尼公の墓」と同様、史跡の表示方法が碑と墓の二通りあります。

石段の両側は芝桜、段上には枝垂れ桜があり、シーズンにはきれいな花が見られるそうな。



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阿曽沼公歴代の碑・墓

阿曽沼氏は藤原秀郷の流れを汲む氏族で、文治5年(1189)奥州征伐の功により阿曽沼広綱が遠野郷を安堵されて以来、慶長5年(1600)まで遠野十二郷を支配しました。五輪塔はもと阿曽沼家の菩提寺であった養安寺にあったもので、養安寺に仮住まいしていた善明寺が現在地に移転する際、墓碑と思われる2基の五輪塔を移したが、1基が阿曽沼氏の墓として現在地に安置され、1基は善明寺に市指定文化財として保存されているとのことです。



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阿曽沼公歴代の碑

昭和28年9月23日、日蓮宗開宗700年にあわせ阿曽沼家の子孫などによって建てられたもの。



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阿曽沼公歴代の墓

遠野の最初の統治者阿曽沼四郎広郷(綱)をはじめ歴代の霊が祀られている。1189年源頼朝から平泉征討の恩賞として遠野十二郷を領した阿曽沼氏はよく領内を治め繁栄した。
関ヶ原の戦いがあった慶長5年(1600)当主は14代広長であった。徳川家康の上杉景勝攻めに出陣した留守中に家臣の謀反にあい、約400年続いた政権は亡びたのである。
五輪塔はもと阿曽沼家の菩提寺である養安寺にあったもので、製作は室町期と伝えられこの地方では最古のものである。

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Author: KD
由緒ある建造物、急峻な山城、遺構の残っていない平地城館、考証無視の模擬天守、すべて等しく探訪対象。一番好きな瞬間は超マイナーな城館で城址碑や標柱を見つけたとき。
© 2010 城館探訪記

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