FC2ブログ

記事一覧

清心尼公の碑(墓)(遠野遺産 第86号)

諏訪神社への参道の途中から50mほどの距離に「清心尼公の墓」はあります。



CIMG0240.jpg CIMG0241.jpg
到着。「遠野遺産第86号」の表示と「清心尼公墓碑」の標柱が立っています。この地の表記は「清心尼公の碑」と「清心尼公の墓」の2通りあり、遠野遺産の登録名称は「碑」のほうになっています。



CIMG0242.jpg
清心尼公の碑・墓

清心尼は南部家第19代直栄と南部信直の娘・千代の子で、第20代直政の夫人である。嗣子がなかったため、直政の没後第21代を継いだ。剃髪して清心尼と称し、新田家から直義(直栄)を養子に迎えた。遠野への移封後は、直義が盛岡を離れることが容易でなかったため、清心尼を中心に政治が行われたという。正保元年(1644)6月4日鍋倉山の横田城で死去し、光興寺の大慈寺に葬られる。その後大慈寺が現在の場所へ移り、清心尼の墓も改葬された。墓石はその際に現在の場所に残されたものとされる。(遠野市HP参照)




CIMG0243.jpg

清心尼公の墓

遠野南部第21代の領主、清心尼公は八戸南部第20代直政の夫人で29歳で未亡人となり、剃髪して仏門に入り清心尼と称した。嗣子がなかったので封建時代には異例の”女の殿様”が誕生した。寛永4年(1627)八戸から遠野への転領にあっては養子直栄(なおよし・第22代)を補佐して遠野郷の統治につとめ、遠野南部氏250年の基礎を築いた女傑で、正保元年(1644)6月4日、59才で没した。この墓は菩提寺の大慈寺が廃されたとき現在の場所に残された。(説明板参照)


ここにも「おんな城主」がいたんですね。
関連記事

コメント

コメントの投稿

非公開コメント

カテゴリ

プロフィール

KD

Author: KD
由緒ある建造物、急峻な山城、遺構の残っていない平地城館、考証無視の模擬天守、すべて等しく探訪対象。一番好きな瞬間は超マイナーな城館で城址碑や標柱を見つけたとき。
© 2010 城館探訪記

フリーエリア

Twitter

スポンサーリンク

カレンダー

10 | 2019/11 | 12
- - - - - 1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

メールフォーム

お問い合わせはこちらからどうぞ

名前:
メール:
件名:
本文: