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諏訪神社(遠野遺産 第102号)

道の駅「遠野風の丘」で入手したマップを参考に、まずは「清心尼公の墓」方面へ行ってみることにします。この場所はタブレットの地図でも史跡マークで表示されており、それなりに知られたところです。R283遠野バイパスが松崎町白岩で川を渡る手前で左折。すぐに道沿いに表示が現れます。



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新奥の細道

多くの史跡が点在していて巡りがいがあります。駐車場はないので、わずかなりとも日陰に入るようにぎりぎりの場所に車を寄せ路駐。まずは表示にある「清心尼公の墓」へ向かうことに。するとその前に次の表示が。



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遠野遺産 第102号 諏訪神社

遠野遺産認定制度』とは・・・地域の「たからもの」を認定し、市民と行政とが協力して保護・活用し、次世代の子供たちに伝えていく仕組みのこと。

私もこの地を訪れて初めて知ったのですが、大変すばらしい制度です。訪問時点ですでに140件以上の登録遺産がありました。現在認定されているものは上記リンク先参照。この先の記事にも登録されているものについては認定番号を記載していくことにします。



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ということで「清心尼公の墓」の前に「諏訪神社」に立ち寄ります。道路から少し奥に入ると参道が整備されています。



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この神社は、昔この地を治めた阿曽沼親郷が勧請したものといわれ、長野県の諏訪大社の祭神・建御名方命を祀る。

承久三年(1221年) 阿曽沼親郷が軍務のために信濃国(長野県)に出陣した時、諏訪湖のほとりに宿をとった夜に、諏訪大社の神の夢告によりヘビの妖怪を退治して神剣を賜った。帰国後、横田城の南にお堂を建立して諏訪大社の神を祀ったのが始まりと伝えられている。

言い伝えによれば、この神剣を紛失したり、猿ヶ石川の水が赤変すると阿曽沼家に不吉な事がある前兆とされ、横田城を今の鍋倉山に移す時も猿ヶ石川の水が赤くにごり、神剣も紛失したというので重臣達がことごとく反対したが、移城を強行し、間もなく阿曽沼家は滅亡したと伝えられている。天正年間(1573~1592年)の事である。
(説明板より抜粋)




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諏訪神社

境内のカエデの数株は諏訪大社から移植したものといわれ、秋の紅葉は遠野随一とうたわれ近郊の人たちでにぎわったと伝えられています。



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乳神信仰の願かけ石

ユニークな姿。境内の切株に立てかけられています。
母乳の出ない女性がこの石の苔をとって煎じて飲んだと伝えられています。

何とも雰囲気のある境内でした。
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Author: KD
由緒ある建造物、急峻な山城、遺構の残っていない平地城館、考証無視の模擬天守、すべて等しく探訪対象。一番好きな瞬間は超マイナーな城館で城址碑や標柱を見つけたとき。
© 2010 城館探訪記

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