FC2ブログ

記事一覧

野手崎城 ~伊達四十八館の一つ・小梁川氏の居城~

御仕置場からr179を北上し野手崎(梁川)の中心集落に入ると、道路沿い左手に目立つ城址碑と説明板が設置されています。



CIMG0158.jpg
県道沿い登城口

周辺に専用の駐車場はなさそうですが、少し手前に空きスペースがあるのでそこを利用させてもらいます。日を遮るものがないところへの駐車は気が進みませんがやむなし。



CIMG0155s.jpg
城内図

看板では野手崎城小梁川館)と表示されており、隣の標柱では「小梁川館址」の表示となっています。どちらの呼び方を主とするか、ネット上の先人たちの記録を見ても見事に二つに分かれています。新しめの標柱の表示はすべて小梁川館で統一されており、地元ではそちらの呼び方を推しているようにも感じられたのですが、個人的な感触の好みでタイトル表示は野手崎城としておきました。

築城年は不明で、天正年間末期に伊達家家臣の大立目内匠がこの地に高屋敷館を築いたのが始まりとされますが、それ以前の戦国期にすでに葛西氏家臣・及川氏により城館が築かれていたともいいます。江戸時代には伊達氏の四十八館の一つ・野手崎所となり、正保元年(1644)に小梁川氏が入城。以後幕末まで小梁川氏がこの地を支配しました。小梁川館の名称はここから来ています。

※伊達四十八館については以下のサイトが大変参考になります。

伊達四十八館ってご存知ですか??

仙台藩の城・要害・所・在所 -伊達四十八舘-

これらを見ると、この城は伊達四十八館の中でもほぼ最北部に位置しているようです。江戸時代の仙台藩の支配領域がここまで及んでいたというのは初めて知ったなあ。



CIMG0160.jpg
枡形(武者隠れ)

登城口から一直線に進むことができない構造になっています。両側には数段の平場が造成されており、家臣団の屋敷跡であったとも思われます。



CIMG0163.jpg
枡形を上から見たところ。見かけ以上に勾配があります。



CIMG0164.jpg
枡形を越えると車道が現れます。この上に民家がありそこまで続いているようです。私としてはそれよりも注目したのは写真左側の日陰スペース。これは車を停めさせてもらうのにもってこいの場所ではないですか。ここでいったん先ほどの坂を駆け下って車のもとへ帰還。少し先にある車道入口から迂回してこの場所へ車を運んできました。だいぶ効率の悪い動き方をしていますが、夏場においては日陰スペースに車を停めることが極めて重要。



CIMG0168.jpg
車を停めた場所も家臣団屋敷跡と思われ、かなり広い平場となっています。日陰を通って南側の奥まで進んだところ、すでに南側下とはかなり段差があります。

車道に戻って登城再開。右手に民家(これも当時の屋敷跡地だろう)を越え、もう一段高い平場(ここが大立目氏の高屋敷館跡)が右手にあり、その先が城の要害部分の大手門跡になります。



CIMG0175.jpg
大手門跡に立つ標柱

ここまで基本的にずっと登り傾斜ですが、このあたりからは木立の中を歩けるので多少暑さが和らぎ助かります。



CIMG0176.jpg
大手から先へ進むとここにも枡形状の構造が現れます。写真ではわかりにくいですが登城路を大きく屈曲させ、進路を制限させています。



CIMG0178.jpg
石段状遺構

第2の枡形を越えると登場。ここが本城部分への正面入り口となります。なかなか急勾配です。



CIMG0180.jpg
ここにもある標柱。奥が石段状遺構。勾配が急なのがわかるでしょうか。



CIMG0200.jpg CIMG0202.jpg
御倉・厩舎跡

石段遺構を登らずに南へ進むと現れる平場。小梁川館の倉庫や厩舎といった付属建物があったと伝えられ、大手門より南門に通ずる小路もここを通過したといいます。この場所からは先ほど通過した枡形状地形を見下ろすことができ、迎撃曲輪としての役割も考えられます。



CIMG0181.jpg 
CIMG0183.jpg CIMG0184.jpg
石段遺構の場所から登ると小梁川館の主郭部分。西側から3つほどの段に分かれており、郭を細かく分けることもできそうです。中段の平場には巨石がぽつぽつと置かれており、この時は礎石跡のようにも感じましたが、なんともわかりません。ちなみにこの時の服装は暑いのでハーフパンツ+家を出発する時点で山登りする気0だったため平地用スニーカーで挑んでいますが、この状態でそこそこ生育している下草の中に分け入るのはなかなか勇気がいりました。意を決して飛び跳ねるような走法を駆使し強行突破に成功。



CIMG0187.jpg
小梁川館 本丸跡

本丸背後は左手に見える土塁とその西側の堀切で守られています。いわるゆ近世小梁川館の城域はこの堀切部分までと思われます。



CIMG0192.jpg CIMG0193.jpg
CIMG0196.jpg CIMG0197.jpg
本丸西側堀切の先には山へと続く通路が伸びています。麓の城内図に烏帽子岩と記載されている巨岩の脇を通り、もう一段登ると塩釜神社に到達します。中世野手崎城はこのあたりも城域に含まれていたように思えます。



CIMG0198.jpg
塩釜神社からさらに山に分け入る道が続いていますが、真夏とあってはこの状態。あるいはこの先に詰めの城の遺構らしきが残っている可能性もありましたが、ここらが引き返す潮時でしょう。



所在:岩手県奥州市江刺区梁川
評価:★★★

自然地形を生かした中世的な雰囲気を多分に残す城郭ですが、要所に枡形を設置したり山麓近くまで郭を造成して家臣団の屋敷を設置したりと近世的な要素も感じ取れます。多少の草に目をつぶれば真夏でも軽装で登城することができ、整備状況は良好といえます。なかなか見ごたえありました。

関連記事

コメント

コメントの投稿

非公開コメント

カテゴリ

プロフィール

KD

Author: KD
由緒ある建造物、急峻な山城、遺構の残っていない平地城館、考証無視の模擬天守、すべて等しく探訪対象。一番好きな瞬間は超マイナーな城館で城址碑や標柱を見つけたとき。
© 2010 城館探訪記

フリーエリア

Twitter

スポンサーリンク

カレンダー

10 | 2019/11 | 12
- - - - - 1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

メールフォーム

お問い合わせはこちらからどうぞ

名前:
メール:
件名:
本文: