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東山城 ~阿波の千早城~

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再掲・案内表示。東山城の表記の下に(阿波の千早城)と記されています。
その理由は以下の通り。

東山城

この城跡は、城山(じょうやま)と呼ばれているが、城の型式からも南北朝時代(1340年頃)の築城と考えられる。八ッ石城と共に南朝方の新田氏一族が拠ったと伝えられる(脇屋義助の子義広との説あり)。この城は、河内の千早城に範をとったもので前方と側方の三方は天然の要害であり、搦手は後方の隠里(かくれさと)へ通じている。山頂には空濠が回らされ、今も岩石落しの割石が残っている。細川方(北朝方)は攻めあぐんで兵糧攻め水攻めをしたが容易に落城せず、白米伝説を残している。その後、空城となっていたが、戦国時代、白地城主大西出雲守頼武の弟大西備中守元武が拠ったと言われている。元武は、予州の轟城々主で、白地城大西氏の勢力拡大に大いに活躍したが、天正5年(1577年)長宗我部元親と戦って落城し、予州宇摩郡妻鳥村(めんどり村)で逆徒のため憤死したと伝えられる。(説明板参照)




P5091074.jpg
田ノ岡城から見た東山城

かなりの山容で、比高は300mあるといいます。
今回は遠望のみ。



所在:徳島県三好郡東みよし町東山
評価:

南北朝期の城、しかも新田一族が拠った城とあらばぜひ登ってみたかったのですが、飛行機の時間との兼ね合いがあり残念ながらまたの機会に。私的には南北朝期の城は戦国期の城を凌ぐほどの関心を持っています。遺構面では南北朝期の城のほうが造りは単純ですが、ロマンは上回っていますからね!いずれ攻城する日が来ることを願って、ここでの紹介はこの程度にとどめておきます。

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Author: KD
由緒ある建造物、急峻な山城、遺構の残っていない平地城館、考証無視の模擬天守、すべて等しく探訪対象。一番好きな瞬間は超マイナーな城館で城址碑や標柱を見つけたとき。
© 2010 城館探訪記

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