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米津台場 ~浜松藩の幕末海防~

堀川城から予定通り中田島砂丘へ向かいます。浜松中心市街を抜けるのは混雑が激しそうなので西側からの迂回ルートを選択したものの、週末の帰宅ラッシュの時間帯と重なり、こちらのルートでも渋滞に巻き込まれる。日本全国どこへ行っても渋滞は嫌なものです。R1に出てしまえば交通量は多くとも流れもいいのですが、流れのいい道ともすぐにおさらば。R1浜松バイパス「米津」交差点で右折します。するとすぐに道路左手にこんもりとした小丘と説明板を発見します。ちょうど経路上にあったので立ち寄り史跡としてピックアップしていた米津台場の跡地です。



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浜松市指定史跡 米津台場

この台場は、幕末に外国船が日本の沿岸に出没したので、これに備える目的で、安政2年(1855)浜松藩主井上河内守正直が幕府の命によって武士と付近の農民に築かせた砲台である。当時台場は、東、西、中の3個所からなり、砲身約5.5m、重量約2t、口径人頭を入れるに足りる大砲3門を備え藩主にこれを守らせた。現存するこの台場は、高さ約18m、周囲約72mの円丘をなしている中台場である。築造当時は、高さ約27m、前面は全部石積みで突角をなし内部の下層は穴蔵、上部に大砲を備えていた。




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現在の台場跡は小丘陵となっているのみ。上に登ると碑が建っており、南には防風林越しに遠州灘が見えます。海岸線まで少し距離があるように感じますが、これは当時より海岸線が遠ざかったのでしょうか。



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所在:静岡県浜松市南区新橋町
評価:★☆

特に見るべき遺構もなく、一般の人はもちろん城好きの人ですら、何の表示もなければただの地山だと思って通り過ぎてしまうようなところです。ただ何もないところから今も残るこれだけの土台を築いたとしたら、その土木量はなかなかすごいものだと感じます。説明板の表記によれば現存の中台場の高さは6m、築造当時は27mの高さがあったといいます。簡単に27mといいますが、6mでもこれだけの小山が残るのですから、27mの高さというとちょっと想像もつかない規模の台場があったのでしょう。おそらく築造に多大な費用と労力が費やされたものと思われます。しかしその労力もむなしく、この台場はその後活用されることなく明治維新を迎えることになるのです。
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Author: KD
由緒ある建造物、急峻な山城、遺構の残っていない平地城館、考証無視の模擬天守、すべて等しく探訪対象。一番好きな瞬間は超マイナーな城館で城址碑や標柱を見つけたとき。
© 2010 城館探訪記

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