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三岳城② ~遠州の絶景~

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前回ラストの一の城と二の城の間の鞍部には新しめの説明板も設置されています。

ここから一の城へ、最後の登りが待ちかまえます。



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激坂アゲイン

ここからが一番の急坂区間。いやもう十分だって。



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急坂を登りきると巨岩が現れ、その先は少し幅の広い平坦地になります。先ほどの二の城に設置されていた説明板の絵図で「二の曲輪」とされていた場所でしょう。巨岩は天然の虎口の役割を果たしているといえます。



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主郭虎口



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山上に到着しました!南側は木が切り払われ、眺望が開けます。



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まずは何を差し置いても城址碑を(笑)

立派な城址碑が設置されていてうれしい限り。



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三岳城からのパノラマ

井伊谷一帯はもちろん、現在の浜松市街やその先に広がる遠州灘までが一望のもとです。



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案内図に書いてあるアクトタワーってあれかな。海岸沿いには風力発電も。



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眺望



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井伊谷一帯と浜名湖

中央やや右寄りの木々が茂っているところがつい先ほどまでいた龍潭寺井伊谷宮があるところ。こうしてみると浜名湖もすぐ近くにあるのですね。今日は朝からずっと山の中をあちこち行っていたような印象だったので、浜名湖はもう少し遠くにあるものだとなんとなく感じていました。



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一の城(本丸跡)

この本丸跡は、標高466.3mの三岳山頂上に建立せられた。当城は山頂一線に構築した純然たる山城で枡形門跡より西の地域が一の城です。この本丸は地域狭少ではあるがこれを中心として幾多の帯状壘段をもってめぐらされ、現在は原形を失っているものの尚4、5列はかぞえられる。本丸の西方には幾多の壕が掘開かれ、或いは天然の岩石をもって要塞となし頗る堅固である。この西方に山を下って約100m地帯に壘石阻が設けられている。




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「免荷(とっか)」方面へ続く西側虎口。2段の帯曲輪があり、周辺には石がゴロゴロ。さらに下にも段曲輪があり、土塁も築かれています。私はこの2段目の帯曲輪のあたりで下を眺めて引き返したのですが、ちょうどこの下段に石積の遺構が残っていたようです。最近は昔と違ってそういう遺構を見逃してもあまり気にならなくなってきたのですが、どういう心境の変化なのでしょうかね。



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再び山頂に戻ってきたとき、東側の登城路から「疲れたー!」と言いながら二人の若い消防隊員が登ってきました。えっ、なぜこんなところに。向こうもここに人がいると思っていなかったのか少しびっくりしたようでしたが、大きな声で挨拶してもらいました。あっ、どうもです。それでは先に下山させてもらいますよ。



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足を滑らせそうな急勾配ですが、下りは得意。ホイホイ下っていくと、なんか背後から人の気配が。ちらりと振り返ると、先ほどの消防隊員がすごいスピードで降りてきています。えー、あなた方さっき登ってきたばっかりじゃないのさ。しかも「疲れたー!」とか言ってたくせに、何その尋常じゃない下りスピード。私は山歩きは相当早いと自負していますし、特に下りに関しては常人の3倍の速度で降りられるほど得意なのですが。追走され意味もなくビビった私はここで後続の引き離しにかかる。



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ふう、本気の斜面滑り降りモードを出したため何とか逃げ切ったようです。しかしあの消防隊員たち、私のような特殊技法など持っていないのにあの速さで降りてこれるとは。さすがに基礎体力高すぎですよ。
おっと、行きで最初に到着した平場に戻ってきました。そういえば案内図にはこの先に奥宮跡があるように描かれていたような。ちょっとルート変更して奥に行ってみます。



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これが奥宮跡か



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それともこっちか

こちらの道は非常にあやしい道ではありましたが、なんとなく先に続いていそうな直感を信じ進んでいくと・・・



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三岳神社の社殿裏に降りてきました。なるほど、ここにつながっていたのね。

ちなみにこの三岳神社境内は三岳城三の城(出丸)に該当します。登山口にあった説明板によると、三の城は現在の三岳神社の境内にあり本丸に迫る敵を阻止し、山城で一番重要な水を確保する役割を果たした、ということです。確かにこの左写真なんか、直接関係あるかどうかわかりませんが水が湧き出ているところで、山全体の湧水点がこの場所にあったのかもしれません。

また、宗良親王の庵室もこの地(三の城)にあったと伝わっています。籠城中に後醍醐天皇の崩御にあわれ、親王は城の紅葉を折ってこれに「おもふにもなほ色浅き紅葉かな そなたの山はいかが時雨るる」の一首を添えて吉野に届けられたといいます。



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ちなみに駐車場には救急車が来ており、他にも消防隊員が数名待機していました。様子をうかがったところどうやら訓練の一環だったようです。鉢合わせになるのもなんか気まずかったので、救急車が立ち去るまで数分間、三岳神社で休憩がてら待機していました。


三岳城
『井伊直虎GUIDE BOOK』No.7。達成状況【12/57】


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所在:静岡県浜松市北区引佐町三岳
評価:★★★

南北朝期の山城なだけあって、技巧的なものはそれほどありません。主郭の西側は多少手が込んでいるようで、その部分だけはもしかしたら戦国期に改修されているかもしれませんが、あまりに険しすぎる城は戦国後期にはむしろ放棄される例が多く、この城も永正10年(1513)の落城以降は基本的に表舞台から去っていったのではないかと思われます。個人的には戦国期の改修がどうこうという構造的な面より、宗良親王がこの地で奮戦したというエピソード面のほうがポイント高いと感じます。
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Author: KD
由緒ある建造物、急峻な山城、遺構の残っていない平地城館、考証無視の模擬天守、すべて等しく探訪対象。一番好きな瞬間は超マイナーな城館で城址碑や標柱を見つけたとき。
© 2010 城館探訪記

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