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三岳城① ~宗良親王籠城・南朝の拠点~

井伊谷宮から再び宗良親王墓前~龍潭寺前と往路を逆戻りし駐車場へ帰還。なんか疲れたなあ。考えてみたら今日は深夜0時過ぎに自宅を出発してからここまで、寒さに震えて仮眠(→参照)した以外はひたすら運転か探訪をし続けていたからなあ。その間、水分以外はエネルギー補給のチョコくらいしか口にしていないし。車の中に入ると日差しが照って暑いくらい。ドアを半開きにし、ちょっと運転席で休憩。

・・・ハッ、少しまどろんでしまったようです。15分くらい経過していました。お昼寝をしたおかげでだいぶ気力回復。さて、次はどこに行こうか。

よし、宗良親王繋がりで、三岳山の山頂に築かれた三岳城に行ってみることにします。



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足切観音堂から見た三岳山(再掲)


三岳山は標高466mあり、井伊氏居館あたりからの比高は余裕で400m以上あるという、南北朝期特有の険しさを頼みとした山城です。ほんとにこの時代の山城は、戦国期の山城がかわいく思えるほどとんでもないところに築かれたりしますね。

麓から徒歩でまともに登るのは修羅の道ですが、幸いなことに山頂近くの三岳神社まで車道がつながっているので、まずはそこを目指します。R257「井伊谷」の信号を東に進み、あとは道なりに進めば山へと登っていけます。途中狭路区間もあったりしますが、随所に城への表示もあり迷うことはないでしょう。



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車道終点よりやや手前に三岳神社への登り口があります。隣に車数台を停めるスペースもあるので、物好きな方、もとい、あえて古い石段を登ってみたいという方はここから登るのもいいでしょう。気軽にハードな体験ができます。



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必要以上にハードな体験はお断りという普通の方は、神社下にある車道終点まで車で登ってきましょう。無料の広大な駐車スペースがあります。先ほどの石段の先には神社社殿が見えます。



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山頂への登山道入口に説明板発見

三岳城跡 国指定史跡(昭和19年3月7日)

当城は三岳山の山頂にあり、井伊氏の築いた諸城のうちの本城である。南北朝時代、延元3年(1338)秋、後醍醐天皇の皇子宗良親王が再び伊勢より井伊谷に入られ、この城を南朝勢力の遠江における軍事上の拠点となされた。足利尊氏勢の高師泰・高師冬・高師兼・仁木義長の大軍に攻められ、ついに興国元年(1340)正月落城し同年8月24日夜、詰城太平城も追い落とされて南朝の拠点は失われた。宗良親王は駿河の安倍城に移られたものと推定されている。その後戦国期元遠江守護であった美濃の斯波義達が井伊谷に入り、曳馬城大河内貞綱と井伊氏がこれに組した。今川氏親は細江町刑部城堀川城に伊達忠宗を入れて前進基地として三嶽城を攻めた。永正10年(1513)に掛川城主朝比奈泰以を主力とする今川勢の総攻撃によって落城した。
この城は、山頂から尾根に沿って細長く築かれ、一の城・二の城・三の城と分かれ、深い谷や急な斜面など峻険な自然の地形を巧みに利用し、中世城郭の典型的な形態を有している。


中段にある今川氏親の西遠州侵攻・朝比奈泰以の三岳城攻めについては、地域遺産センター「戦国の井伊谷」でも説明されていました ↓


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このあたりのシーンですね


それでは時間も惜しいので早速登城開始。



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少し登っていくと写真のちょっとした平場に出ます。三岳神社の奥宮跡にもつながる平場のようですが詳細不明。



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上記の平場を左折すると本格的な登りが始まります。



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激坂開始

うへ。これ数時間前に登った井伊谷城のレベルを二回りくらい越えてますよ。勘弁願いたい。写真に写っている看板は城に関するものではありません。期待して近づくと超がっかりします。



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しんどい思いをしながらも高速で山上鞍部に到達。左が一の城(主郭)方面、右が二の城方面。まずは右に行ってみますか。



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鞍部から尾根筋の緩い登り坂を進むとすぐに説明板設置箇所に到達。


 
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二の城(二の丸)址

二代箒松(ほうきまつ)より東側の壕より以東高地末端の壕に至る間は、二の城で箒松の外壕附近は南北より渓谷が深く侵入しているので、二の城の区域は独立高地の如き観を呈して、その中央部に複郭を有し、それを中心として数段の帯郭、腰郭、壘段(とりでだん)を有し、東側の外壕外にも数段の帯郭を有し川名及び滝沢方面より屋根づたいに近迫する敵に対して備えている。


説明板の文章、あまりこなれていないな。



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説明板から奥へ続く道

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二の城中心部分(推定)

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東端部の帯郭

二の城は説明板設置の場所が中心部ではなく、その奥にかなり先まで続く細長い郭になっています。藪化はしていないので先端まで進むことはできますが、城跡としての整備はそれほどなされていないようで、中央部の郭と周りの帯郭が判別できる程度。新たな表示物もないので説明板設置場所で引き返すのもありだと思います。ただ実際に歩くと、二の城単独でもそれなりに兵を入れることができるのは実感できます。典型的な一城別郭の作りです。



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鞍部に戻ってきました。ここでハイカーと遭遇、挨拶を交わします。



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二代箒松碑

川名青年団が三岳城を偲んで建立したもの。

ちょうどこの付近が一の城の枡形門跡であるようです。


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Author: KD
由緒ある建造物、急峻な山城、遺構の残っていない平地城館、考証無視の模擬天守、すべて等しく探訪対象。一番好きな瞬間は超マイナーな城館で城址碑や標柱を見つけたとき。
© 2010 城館探訪記

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