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井伊氏居館 ~井伊氏平時の拠点~

井殿の塚から南に進むと、すぐに井伊氏居館の跡地範囲に入ります。



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周辺案内図(再掲)

塚と隣接、というか塚自体も居館の一画に含まれていそうです。



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井伊氏居館

『井伊直虎GUIDE BOOK』No.17。達成状況【8/57】

江戸幕府柱石の大名中、数少ない大老職の家柄と仰がれた彦根藩主井伊氏発祥の地は、引佐の井伊郷で、この場所が屋形の跡です。

井伊氏の元祖共保公は、藤原鎌足5世の裔、閑院左大臣冬嗣の男良門の流れを掬む藤原備中守共資を父とし、共資が一條天皇の正暦年中、遠江の廳に来住した時、井伊郷の荘司三宅篤茂の女を娉(つまど)い、寛弘7年正月篤茂の館に於いて生誕したと謂われております。

以来日本八介の一、遠江の井伊ノ介と謳われ、南北朝、東海に於ける南朝の拠点として、後醍醐天皇の皇子宗良親王を迎え、ここ城山に御所を構え、東北三嶽山頂に山城を営み、激烈な戦火を繰り広げました。以後戦運南朝に利あらず、戦国の世には今川氏の為に悲運を繰返し、直政公出生の翌年、永禄5年には幼主直政公も此處を立退き、遂に主無き館となりました。

嘉永5年6月、彦根藩主、時の大老井伊直弼公は親しく此の館跡を訪れ、境内にある守護社井伊大明神に詣で旁附近の史跡を巡覧した事が伝えられています。

平成元年8月吉日 引佐町歴史と文化を守る会 引佐支部有志一同




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旧跡ノ図

南西隅の堀跡が水路として現在も残っています。



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周辺案内図で居館跡とされている部分の現況(「旧跡ノ図」では「本丸」となっているところ)。



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第四区公民館

幟旗や説明板が設置されているのはこの公民館の敷地。
直虎元年」っていいね。



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「次郎法師は女にこそあれ」

「直虎の里MAP」にある井伊家屋敷想像図の範囲は手持ちの資料よりも広く描かれており、先ほどの「旧跡の図」でいくと二ノ丸部分も屋敷内に含めています。そのほかこの公民館に貼られているMAPには「井伊直満屋敷」「中野氏屋敷」「新野氏屋敷」の文字とその範囲も描かれていますが、場所はあくまで想像ということなのでそれぞれ単独での紹介はしません。『GUIDE BOOK』にも記載されていないしね。



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堀跡らしき。公民館のMAPだとちょうど屋敷の範囲の淵にあたるところになります。



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所在:静岡県浜松市北区引佐町井伊谷
評価:★☆

かつては堀と土塁に囲まれていた居館で、そのうち現在でも健在なのは南西隅の水路のみですが、写真撮り逃しました。道路地図や国土地理院地形図からもその水路の存在は確認できます。ほかの遺構はないようですが、南面の水路状地形も堀跡の可能性はありそうです。
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Author: KD
由緒ある建造物、急峻な山城、遺構の残っていない平地城館、考証無視の模擬天守、すべて等しく探訪対象。一番好きな瞬間は超マイナーな城館で城址碑や標柱を見つけたとき。
© 2010 城館探訪記

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