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足切観音堂

手持ちの周辺マップによると、二宮神社の東隣に圓通寺(足切観音)の表示があります。
周遊ルートに入っているので立ち寄ってみることにしましょう。



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足切観音堂 ここから100m

直虎ちゃんかわゆい。



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足切観音堂 

『井伊直虎GUIDE BOOK』No.28。達成状況【6/57】



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足切観世音の由来

慈は心も遠江、井伊谷の里の円通寺、本尊足切観音・・・と念仏和讃で有名なこの寺の菩薩は弘法大師の御作で、南北朝の争乱に二宮宗良親王の御信仰せられた霊仏であります。

時は延元4年(1339)、このあたりは井伊道政を擁し、南北両軍攻防の鎬(しのぎ)をけづっておりました。そんな或る日、宗良親王は乱戦の中、敵の流れ矢を受け落馬しました。馳せつけた従者がお介抱をもうしあげたところ不思議や傷の所には跡も形もありませんでした。

親王はその夜、観音を夢見たので是は正しく日頃信ずる観世音の効力によるものとして、翌朝とく起きて参拝、厨子の扉を開けて見ればこれ如何に、観音の片足は鮮血に染まり痛々しきお姿ゆえ、さてこそ吾が身替りに立ち給いしかと、涙と共に益々信仰を高め終生の守り本尊として祈願なされたと伝えられております。

この御持仏堂を護持するために、草創されたのが二宮山円通寺なのであります。

追記
宗良親王の去られた後、この二宮御所跡には城主井伊直宗公のお舎弟直満らの館が設けられておりましたが、直満公の不慮の失陥後は堂宇を残し荒廃し、武田軍の侵入による戦火で本尊を残し消滅いたしました。

龍潭寺十代独兒黙念和尚は之を興し、慶安2年(1649)観音堂を再建し中興の祖とされております。

円通寺は昭和31年、住職不在の為、隣接せる明円寺と合併し晋光寺となりました。
毎年10月18日を開帳縁日とし、遠近よりの善男善女の参詣で賑っております。

平成元年11月吉日 歴史と文化を守る会 引佐支部有志一同




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観音堂付近から望む三岳山


宗良親王は延元元年(1336年)と同3年(1338年)の二度井伊谷城に入城して北朝軍と戦うも、高師泰・師兼の猛攻撃に合い、三岳城千頭ヶ峯城大平城と落城。信濃、北陸へと転戦することになります。
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由緒ある建造物、急峻な山城、遺構の残っていない平地城館、考証無視の模擬天守、すべて等しく探訪対象。一番好きな瞬間は超マイナーな城館で城址碑や標柱を見つけたとき。
© 2010 城館探訪記

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