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二宮神社

井伊谷城散策終了。
続いて周辺マップに記載されている「二宮神社」に行ってみようと思います。
激坂を下り分岐点へ。



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二宮神社との分岐

ここから二宮神社へ降りるルートは折り返しの少ない直線的な道で、それすなわちずっと急勾配ということ。ブレーキかけながら下ったのでだいぶ足に負担がかかりました。階段や土の登山道なら位置エネルギーをそのまま利用して高速で降りることができるのですが、真っ直ぐの急勾配舗装路だとスピードが出すぎてシャレにならないことになるのでブレーキは必須。下りが得意な私としてはかなり不本意な下り方です。



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麓直前で右手に鋭角に折れ、神社社殿に到着しました。



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二宮神社

南北朝の時代、井伊家は南朝方について、当地域の北朝勢力と争いました。後醍醐天皇の皇子 宗良親王は、伊勢の大湊より船で当地に向かう途中、嵐に逢い遭難してしまいました。しかし、親王が乗った船は幸運にも「しろわの湊」に漂着し、無事に当地の井伊家を訪れ、三岳城を拠点として戦いました。しかしながらこの地の南朝方勢力は北朝方に一掃され、親王も信州に逃れ、井伊家もいったんこの地の拠点を失いました。二宮神社は井伊家にかかわる多道間守(橘の家紋)とともに「二宮」と呼ばれた宗良親王を合祀しています。


二宮神社御由緒

当二宮神社は多道間守と宗良親王との御二柱を御祭神としております。往古は三宅神社と称し奉り、天日槍尊の四世で、井伊郷の荘司三宅氏の始祖 多道間守の尊霊を奉祀した延喜式の式内社に列せられた霊社であります。
第十一代垂仁天皇の勅諚に応え常世の国から我国へ橘を将来したのがこの祖神多道間守で当地発祥の井伊家は式内社渭伊神社を象徴する井桁と、当三宅神社の橘とを家紋と致しました。
元中二年八月十日(西暦1385年)後醍醐天皇の皇子宗良親王が井伊城に薨ぜられるや九月南帝の勅使中院為久郷、中院少将定平朝臣下向、御連枝の方廣寺開山、圓明大師を御導師として葬送の御儀を執行い、当三宅神社に尊霊を合祀し奉り、慈来二柱の神霊を祭祀するため二宮神社と改称し奉りました。




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参道下から


ちなみにここ二宮神社は先ほど入手した「井伊直虎GUIDE BOOK」に掲載の57ヶ所のゆかりの地のうちの一つです(No.27)。現地ではガイドブックは活用できませんでしたが、現在記事を作成しながらガイドブックと見比べて訪問したところは訪問済みの印をつけています。このほかにこれまでの訪問済みのところでガイドブックに掲載されているのは、方広寺(No.33)、奥山館(No.16)、地域遺産センター(No.24)、井伊谷城(No.25)。

二宮神社探索終了時で【5/57】。完全制覇を目指して頑張りましょう。
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Author: KD
由緒ある建造物、急峻な山城、遺構の残っていない平地城館、考証無視の模擬天守、すべて等しく探訪対象。一番好きな瞬間は超マイナーな城館で城址碑や標柱を見つけたとき。
© 2010 城館探訪記

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