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浦戸城 ~桂浜を見下ろす長宗我部氏最後の本拠~

蓮池城を後にし、R56で土佐市から高知市へ。r36~r14(北部進入道路)~r14(黒潮ライン)を経由し、一路有名観光地・桂浜へ。



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黒潮ライン

桂浜の駐車場は有料ですが、桂浜公園内にある坂本龍馬記念館の駐車場は無料であるということは事前にリサーチ済み。なのでまずはそこを目指します。龍馬記念館は桂浜近くにあるちょっとした山の上にあり、駐車場には多くの車が止まっていましたが、無事空きスペースを見つけて駐車することができました。敷地には目立つ記念館の建物が建っていますが、そちらは後記。



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車を停めて私がまず向かったのがここ、記念館脇に残されているこんもりとした丘陵部分。
手前には石碑や表示物が設置されています。



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県指定史跡 浦戸城

高知市南部、桂浜の北部丘陵の浦戸山(標高59m)上に築かれた中世の平山城跡で、土佐湾(太平洋)に面している。浦戸は高知平野の入り口に位置し、紀貫之の『土佐日記』にも浦戸の港として記載されるなど、古来より水運の拠点となる地であった。

古くより城砦があったとされるが、本格的には戦国時代に本山氏により築城されたと考えられている。その後本山氏を滅ぼした長宗我部氏が支城とし、長宗我部元親が大幅に改修した後、大高坂城(現 高知城)より移って居城とした。長宗我部時代には本丸・二の丸・三の丸・出丸で構成されて3層の天守が設けられる大規模な城であり、丘陵北部の浦戸湾岸に城下町が置かれた。江戸時代、長宗我部氏に代わって土佐に入国した山内一豊もまた本城を居城としたが、高知城築城後に居を移したため、廃城となった。

現在は県の史跡に指定されているが、城跡には国民宿舎桂浜荘・県立坂本龍馬記念館が建ち、石垣・堀切の一部を遺構として残すのみである。(wiki参照)


そう、現在国民宿舎や龍馬記念館が建っている一帯は全て浦戸城の城域なのです。私がここに車を停めたのも、単に無料だからということだけではありません(笑)

石碑のある場所には城の概要と古地図・現況図を記した説明板がありますが、銀色の板に光が反射して写真写りはイマイチ。



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展示石垣

もとからこの場所にあったのではなく、国民宿舎建設の際に発掘された石垣を移築したものだそうです。
先人たちが撮影したものと比べても草が生い茂っており、自然と同化しています。
観光客は誰一人として見向きする者はいませんw



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天守台跡へ。山祇神社の参道となっています。



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天守跡

現在地は浦戸城詰ノ段北東隅に位置する、中世の山城としては珍しい天守跡である。天守跡は詰ノ段よりも7m高く、いびつな台形である。上部は東西11m、南北15mで城八幡(手前)・大山祇(奥)の二つの小さな祠がある。天守跡の斜面には石垣の名残と思われる石が露出している。なお、北側斜面は1958(昭和33)年の展望台造成工事でその一部が削り取られている。松野尾章行著の『皆山集』に掲げる「浦戸城古城略図」には「五間四方」の天守跡が描かれているが、その広さや造築された時代から長宗我部元親の築いた天守は三層であったと思われる。なお、元親が築城した浦戸城以前の城郭である岡豊城には、まだ天守は出現していない。(説明板参照)




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記念館の南側。こちらにも説明板と「詰ノ段」(本丸)の標柱があります。

浦戸城は、戦国時代の土佐を代表する武将・長宗我部元親が、土佐一国を領有する拠点として整備した城である。この地は浦戸湾の入口に位置し、交通の要衝として重要な地で南北朝時代からこの地をめぐる攻防が繰り返されてきた。
戦国時代、長岡郡本山を本拠地とする本山氏が高知平野に進出し、朝倉城(高知市朝倉所在)を拠点としてその勢力を拡張した際、ここに城を築いたのが中世の山城として整備されたはじめである。
1560(永禄3)年、本山氏を破った長宗我部氏はこの城を奪った。1585(天正13)年に土佐一国の領有を認められて後、元親は一時大高坂山(現・高知城跡のある地)に城を築いたものの治水に失敗し、1591(天正19)年頃再びこの地に移転以後、10年間にわたって浦戸城は長宗我部氏の本城となった。
現存する遺構は、天守台跡、詰ノ段、ここから西へ三ノ段、三ノ下段、堀切及び二ノ段などであるが、中世の山城的構造をもとに、詰ノ段を取り巻く土塁配置や天守を備えた点などの近世城郭としての特徴を併せ持つ、土佐の城郭史上貴重な遺構といえる。(説明板参照)




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「浦戸古城之図」

記念館や国民宿舎が建っている場所はあくまで本城(本丸)部分であり、城域全体はかなり大規模なものであったことが伺えます。天守台部分などは本当に一部分にすぎません。



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詰ノ段からの眺め。延々と伸びる砂浜が見事。
階段を下りていくと三ノ段、三ノ下段、二ノ段等の跡地に続きます。尾根筋を横切る三条の堀切も残っているそうです。



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詰ノ段の隅には浦戸城井戸跡も残っていました。



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所在:高知県高知市浦戸
評価:★★

書籍や先人たちの記録を見ると城は開発しつくされ遺構は残っていないというものがほとんどで、現況はおおむねその通りです。西の城域には堀切が残っており、城の規模が当初の私の想像よりかなり大規模なものであったことは現地を訪れて感じ取ったことです。長宗我部氏がこの城を本拠としたのは大高坂山城の治水に失敗したから、という理由が従来取られていましたが、近年「浦戸城は朝鮮出兵に備えて築かれた臨時の拠点であり、将来的には大高坂山城に本拠を戻す予定があった」とする説も出されています。城下町を作るにはこの地は手狭であったため山内氏は浦戸から高知に移ったわけですが、そのあたりは長宗我部氏も当然十分承知の上であえて居城を移していることもあり、上記の説も説得力があります。このあたり、今後さらに研究が進んでいくかもしれません。
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Author: KD
由緒ある建造物、急峻な山城、遺構の残っていない平地城館、考証無視の模擬天守、すべて等しく探訪対象。一番好きな瞬間は超マイナーな城館で城址碑や標柱を見つけたとき。
© 2010 城館探訪記

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