FC2ブログ

記事一覧

須崎砲台 ~竜馬も入港した土佐藩砲台~

道の駅「かわうその里すさき」から、須崎の街中の史跡巡りを開始します。
まず向かったのは当初の予定にもあった国指定史跡・須崎砲台跡(土佐藩砲台跡)。道の駅で入手したマップには「土佐藩西砲台跡」と記されており、現在は西浜公園として整備されています。



P5080038.jpg
西浜公園着。南側には線路と路地を挟んですぐ海が広がります。周辺に駐車場はなく、周辺路地も写真のように狭いので、すれ違い可能になるよう極限まで寄せての路駐。でかい車では停車はおろか通行すらお勧めしません。



P5080060s_2017021821370254a.jpg
文久3年(1863)8月23日に完成した須崎砲台場の古図

土佐藩砲台跡(国史跡指定)

幕末、異国船の来航があり、海岸防備のため藩命により文久3年(1863)7月に着工し1ヶ月半の短時日に完成した。須崎には西、中、東の3カ所に台場が築かれたが、そのうち現存するのはこの西台場のみである。規模が最大で長さ116m、砲門7座、内側に弾薬室が7カ所あったが、明治初年埋められた。この砲台跡は明治40年、須崎町が払い下げを受け、公園として保存してきた。当時使用した砲弾が残っている。

慶應3年(1867)8月6日、イギリス水夫殺害事件で公使パークスは土佐藩と交渉するため軍艦(バジリスク号)で須崎港に入港し、幕府艦(回天丸)や坂本龍馬も来港して外国交渉の舞台となった。
(説明板参照)


須崎に築かれた3か所の台場を総称して須崎砲台または土佐藩砲台と呼ぶのですね。



P5080045.jpg
須崎砲台跡の石碑

この場所についても「土佐藩西砲台」とか「須崎西台場」とかの呼称のほうが正確なのでしょうが、この石碑を重視して広く使われている「須崎砲台」の表記で掲載します。



P5080039.jpg P5080057.jpg 
P5080043.jpg P5080044_201702182135500b7.jpg
砲台内の様子



P5080040.jpg
土盛1


P5080059.jpg
土盛2


P5080049.jpg
こちらが砲門跡 建物の合間からは海が見える

相変わらず現地で説明板の内容をじっくり確認しないため、探訪時には上の土盛り1・土盛り2の写真のような盛土された部分が砲座部分であると思い、そのつもりで写真を撮ったりしたのですが、今改めて説明板の内容をよく読むと、土盛りと土盛りの間の切れ目部分が砲門跡であることが判明。それぞれの切れ目に7座の大砲が設置されていたようです。



P5080050_20170218213640083.jpg
逆光になってしまった土佐藩砲台跡 西浜公園」の石碑



P5080054.jpg
公園のすぐ南を走る線路の対岸から。この後ろはすぐ海。

外側から見ると砲台は全体的に土塁造りになっていることがよくわかります。内側の石積みは補強のため用いられているのでしょう。



=============================================
所在:高知県須崎市中町2
評価:★★☆

公園として整備されているため見学しやすくなっています(車での訪問は厳しいが)。この日も私の滞在中ずっと雑草を刈っているおじさんの草刈り機の音が鳴り響いていました。
ちなみにこの砲台には、坂本龍馬が須崎湾に停泊していた土佐藩軍艦・夕顔丸の船上から陸上(砲台)の様子を見たエピソードが残っています。この時、砲台で指揮をしていたのは乾退助、後の板垣退助であったということです。
=============================================
関連記事

コメント

コメントの投稿

非公開コメント

カテゴリ

プロフィール

KD

Author: KD
由緒ある建造物、急峻な山城、遺構の残っていない平地城館、考証無視の模擬天守、すべて等しく探訪対象。一番好きな瞬間は超マイナーな城館で城址碑や標柱を見つけたとき。
© 2010 城館探訪記

フリーエリア

Twitter

スポンサーリンク

カレンダー

04 | 2020/05 | 06
- - - - - 1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31 - - - - - -

メールフォーム

お問い合わせはこちらからどうぞ

名前:
メール:
件名:
本文: