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中村城 ~土佐の小京都を守る城~

四万十市は平成の大合併で誕生した市で、その市街部分は旧中村市の中心街であります。この街はかつてこの地を治めていた土佐一条氏により京都を模して碁盤の目状に区画された名残が残っており、土佐の小京都として知られています。この旧中村市中心市街地の北西にある標高70mほどの山上に築かれたのが中村城で、現在は為松公園となっており、天守外観を模した資料館も建っています。



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栗本城から眺めた中村城

山上の鉄塔の建っている左手奥側が城域中心部。ここからは天守の姿は見えません。



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公園として整備されているので山上まで車で登れて便利ですが、山自体は四方に尾根が伸びている複雑な地形で、実際の標高以上に要害性を感じられます。



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山上の為松公園着。日本の歴史公園100選にも選ばれています。
ちょうど堀切状になっているところで道が広くなっており、車も駐車することができます。



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城址碑等もしっかり設置されていてうれしい

説明板によると中村城は東城、為松城、中の森、御城、今城といった城を統合したものらしいです。とはいってもこれらはすべて単独の城というよりかは独立性の強い郭といったほうが実態に近いので、あえて太字表記にはしません。平野部を東西に通ずる陸路の要を押さえ、南北と西部に至る河川により攻防いずれにも臨機応変の戦いに備えることができる、まさに要衝の地に築かれています。

別名為松城。応仁の乱を避けた一条教房が、荘園(幡多荘)であった中村に下向しそのまま戦国大名として土着し、元々この地にいた豪族の為松氏が家老として取り立てられ、その為松氏により築城されたのが始まりと考えられている。代替わりして一条兼定の時、兼定は素行が悪く家臣により豊後へ追放され、その後一条家は長宗我部元親に攻められ滅亡する。関ヶ原の戦い後、戦功により山内一豊に土佐一国が与えられ、山内一豊の弟康豊が入るが元和の一国一城令に伴い廃城となった。

城は西に四万十川、東に後川が流れ、中村平野を一望できる丘陵に築城され、面積はおよそ10,586㎡あり、遺構は石垣が残っている。石垣は1965年(昭和40年)に発見されたもので、中村藩2万石2代藩主山内政豊時代の慶長18年(1613年)に修復されたものであると考えられている。現在は「為松公園」になっており、二の丸跡に模擬天守の四万十市立郷土資料館がある。
(wiki参照)




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おっと、郷土資料館の開館時間は16:30までとな!?

現時刻は16:41。しまったー、先にこっちに来ていれば間に合っていたな。でも閉館時間が17:00ということは、あわよくば入れるかも。とりあえずダッシュ。



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立派な模擬天守

もっと離れて撮ったほうが上手く映るのですが、気が急いているので構図に構っている余裕なし。



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あー、やっぱり駄目だった。本日は閉館しましただって。

しょうがないので周りをうろうろしてみますよ。



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資料館の東側下に降りる階段。右手に行くと車道に、左手は段々が続きます。この段々は郭跡かもなーと思いながら少しだけ降りてみましたが、特にめぼしいものもなさそうだったのですぐに引き返しました。



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資料館前のスペースには鯱やら四万十川の舟やらが展示されています。あと二の丸の石碑も。
そこそこ立派な土塁が周りを巡っているのにも気が付きます。



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土塁

この土塁は資料館の入口部分で切通し状になっていますが、本来の虎口ではなく後世に開削されたもののようです。



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本丸(為松城)側も公園となっています。二の丸には土塁があったのに本丸にはありません。本丸の先に中の森、今城といった郭が続くようですが、現地では特に縄張りを把握していなかったのでこのへんで戻りました。

写真は本丸にある幸徳秋水の碑。こちらは別項にて少し紹介します。



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駐車スペースに帰還。先ほどは碑を撮ることに夢中だったので、改めてその後ろの石垣を。
なかなか立派な石垣で、一条氏時代ではなく山内氏時代の遺構と推測されています。



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道路(堀切跡)を挟んで反対側の公園にも上ってみます。というのも、上で述べた通り探索時の私はこの城の縄張りを全く把握しておらず、現地にも案内図がなかったため、この反対側の公園も城域ではないかと思ったのでした。実際あやしい地形ですしね。



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しかしこちら側の公園は城域外のところでした。そうと知っていれば先ほどの本丸の奥のほうに労力をかけたんですけれどね。あやしい地形と思って何枚か撮った写真が無駄になりましたよ(笑)
ちなみに左の写真は公園のだいぶ奥のところに立っていた鉄塔。1枚目写真の栗本城から見えた鉄塔がこれになります。



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四万十市街地を眺めることができたので、こちら側の探索も全くの無駄というわけでもありませんでした。


*ここでの推定階段上り下り数・・150段 トータル・・・1900段


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所在:高知県四万十市中村
評価:★★☆

私は模擬天守好きなので、城の遺構のあるなしにかかわらずそういった建築物があるところは評価が甘くなります。今回は資料館内には入れませんでしたが、内部に入って展示資料まで見ることができていればもう1ランク上の3つ星評価だったかもしれません。基本的に極力再訪はしない主義ですが、もし再訪するときがあれば天守最上階からの眺めも堪能したいところです。その時はおそらく評価の上方修正もされることでしょう。
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Author: KD
由緒ある建造物、急峻な山城、遺構の残っていない平地城館、考証無視の模擬天守、すべて等しく探訪対象。一番好きな瞬間は超マイナーな城館で城址碑や標柱を見つけたとき。
© 2010 城館探訪記

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