FC2ブログ

記事一覧

宿毛土居 ~宿毛統治の拠点~

宿毛城の説明板には以下の記述があります。

・・・元和元年(1615)一国一城の幕命により城(宿毛城)は破壊されるが、可氏はふもとの土居(屋敷)を改築し、宿毛統治を続けた。可氏以降も子孫が代々ここで宿毛を治め、これを中心に城下町も形成した。延宝八年(1680)頃の絵図には、土居の様子や町割り、土佐藩奉行野中兼山の治水事業による河戸堰、宿毛総曲輪(堤)などがみてとれる。・・・
(説明板より抜粋)


山城の麓に居館を置くのは時代を問わず広く全国で見られ、ここでも同様の構えとなっています。土佐藩では長宗我部氏残党の叛乱に備えるため、領内要地に六人の重臣を配して御土居と呼ばれる居館を設けさせており、宿毛城廃城後も麓の土居は単なる屋敷ではなく政庁として存続しました。



P5070671.jpg
宿毛城登城口より見た宿毛土居一帯。奥の赤い屋根の建物が宿毛保育園で、保育園敷地が土居の中心。説明板にも「土居は遺構も含め現存せず・・・」と記載されているように、現地に遺構はありませんが、「伊賀家邸跡」の石碑が建っているようです(見逃しました)。伊賀家とは宿毛領主山内氏が明治維新後に改めた姓(遠祖が称していた姓)です。



P5070672.jpg
土居の遺構はないということなのでそのまま次の目的地へ移動しようとしましたが、宿毛小学校の前を通過するときに説明板が設置されているのが目に入ったため、路肩に停車し確認。小学校は土居跡の中心である宿毛保育園の西隣にあり、説明板にも「(ここは)宿毛領主の邸宅の隣に位置し~」という記述があります。小学校敷地内には複数の旧跡が残っており、「日新館跡」の石碑のほか、「岩村英俊邸跡」「北見志保子歌碑」といったものがあります。



P5070676.jpg
もう一つ、小学校内にあるのが「野中兼山一族幽閉の地」碑。

野中兼山一族の幽閉

野中兼山は江戸時代、土佐藩(今の高知県全域)の奉行で、藩内の政治のリーダーでした。兼山は新田を開発したり、港を築いたり、お米の値段を調整したり、次々と新しい仕事を実行しました。宿毛でも、河戸堰や宿毛総曲輪(堤防)を築いたり、沖ノ島や篠山でおきた国境争いを解決しました。
しかし、兼山のやり方はとても強力だったので、各地で反発を生み、結局、奉行を辞めて隠居します。そしてその直後、四十九才で死去してしまいました。
ところが、それでも反発の声はやみません。兼山の政治が土佐藩の人々を苦しめたといって、兼山の子供たちに、その罪を負わせることになったのです。親の罪が子にも及ぶ時代でした。兼山の子供八人は宿毛に送られ、今の宿毛小学校のプールの場所に幽閉されました。一番幼い貞四郎は、まだ二歳でした。竹で囲まれた家での外には出られない生活の間に、子供たちは成長し、そして次々に亡くなりました。四女の婉は、兄、姉を失う悲しみを和歌を詠みます。

つらなりし 梅の立枝 枯れゆけば のこる梢の 涙なりけり

「つらなる梅の立枝が枯れていくと、のこる小枝は涙を流すばかりだ。(梅の立枝・・・先立つ兄、姉  梢・・・残された弟や妹)」

約40年という長い長い年月が過ぎ、男子の全員が亡くなると、寛、婉、将の三人の女子だけが、ようやく釈放されました。釈放された三人の内、婉は今の高知市朝倉に移って医者になったということです。この婉の生涯は、高知県出身の大原富枝の小説「婉という女」で紹介され、大きな反響を呼びました。現在宿毛には、婉と長女米以外の、幽閉された子供たちと母親の墓が残されています。
(説明板参照)


子どものころから40年も幽閉って、ほぼ終身刑ですね。そんなに父親が悪いことをしたのかって話ですよ。
かわいそうなことです・・・



P5070677ss.jpg
当時の宿毛土居の様子がわかる絵図(説明板より)

この絵図からは陣屋クラスの近世政庁の様子がうかがえます。



P5070675.jpg
さらにもう一つ、小学校の西側路地一画にある「北方様史蹟碑

北方様(1533~1606)は山内一豊の姉で、宿毛領主可氏の母。

土佐藩祖山内一豊の姉である北方様は元来、通という名でしたが、美濃の北方城に居た安藤郷氏に嫁いだのでそう呼ばれました。しかし北方城はせめられ、のちに夫が敗死し、子の可氏とともに各地を逃れる境遇にあってしまいます。そのような時に長浜にいた一豊に呼ばれ、掛川を経て、土佐に入国しました。そして可氏が宿毛領主に任じられると、それにつきしたがって宿毛に住みました。妙栄寺は彼女が建てた菩提寺で、数々の遺品も残されていますが、昭和36年宿毛市役所北に移転し、現在、もとの場所にはこの石碑が建てられています。(宿毛歴史館HP参照)




P5070678.jpg
宿毛小の北西にある東福院

宿毛山内氏(伊賀家)の墓地」および「野中兼山遺族の墓地」があります。
見学しようと思いましたが、向こうの駐車場からでかい車が出てきてすれ違い不可能なため断念。



=============================================
所在:高知県宿毛市中央2
評価:

土居の遺構はありませんが、各種関連史跡の表示物が設置されており、地元の歴史を大事にしている様子を感じました。上で紹介したほかにも街中の随所に城下の屋敷跡を示す石碑が建っているということで、小さいながらもこの地がれっきとした城下町であることを示しています。観光に寄与しないように思える有名でない史跡もおざなりにしない自治体というのは、住民全体の民度が高いように感じますね(逆もまた然り)。
=============================================
関連記事

コメント

コメントの投稿

非公開コメント

カテゴリ

プロフィール

KD

Author: KD
由緒ある建造物、急峻な山城、遺構の残っていない平地城館、考証無視の模擬天守、すべて等しく探訪対象。一番好きな瞬間は超マイナーな城館で城址碑や標柱を見つけたとき。
© 2010 城館探訪記

フリーエリア

Twitter

スポンサーリンク

カレンダー

10 | 2019/11 | 12
- - - - - 1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

メールフォーム

お問い合わせはこちらからどうぞ

名前:
メール:
件名:
本文: