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宇和海と細木運河・船越運河

朝食を食べ過ぎた状態のまま宇和島リージェントホテルを出発。R56宿毛街道から宇和島南インターで高規格道路・宇和島道路入り。片側1車線ながら交通量が極めて少ないので非常に快適に走行できます。しばし快走したのち、津島岩松インターでR56に再合流。津島町嵐の交差点でついに宇和海に出ます。



P5070616.jpg
宇和海の眺めが印象的だったので、休憩スペースに車を停めちょっとだけ風景を楽しむことにします。
今回の旅では1日目は海を眺めるポイントはありましたが、海沿いまで来たのはこの時が初めて。



P5070618.jpg
左手のずっと先まで延びている半島は由良半島。この半島の影響でここでの宇和海は奥深い湾状になっています。湾では何か養殖をしているようで、案内看板によると真珠養殖を行っているらしい。

今回の旅で初めて海沿いまで来て見た光景ということで、しばしじっくり眺めます(この日の後半は景勝地の岬探索を続けるので、海は見慣れてしまうことになるのですが)。



P5070620.jpg
この駐車スペースの一角には
「山本友一君功頌碑」
「細木運河船越運河完成記念」
と刻まれた碑があります。以下wiki参照。

山本 友一(やまもと ともいち、1905年4月10日- 1994年12月28日)は、日本の政治家、実業家。衆議院議員(2期)、宇和島市長(4期)、愛媛県議会議長、盛運汽船社長、第二盛運汽船社長を歴任。長男の山本公一は衆議院議員、環境大臣。

愛媛県北宇和郡下灘村鼠鳴(現宇和島市津島町鼠鳴)の半農半漁の家庭に五男三女の末子として生まれる。海運業を営む傍ら、1940年に宇和島市議会議員に当選。その後愛媛県議会議員を2期務め、第40代県議会議長に就任(在任1952年~1953年)。
1953年、第26回衆議院議員総選挙に旧愛媛3区から出馬し初当選する。1955年の総選挙でも再選。衆議院議員時代には自由党・自由民主党に所属し、離島整備振興法の成立や細木運河船越運河の建設に尽力。郵政大臣だった田中角栄に直訴して、不可能と言われた竹ヶ島の電話架設を実現した。
1958年の総選挙では、テレビの選挙速報で当選確実を打たれながらも落選してしまい「バンザイ落選」と言われた。その後1967年に宇和島市長選挙に出馬し、3期目をめざす中川千代治を破り当選。再選を目指した1971年に前市長の中川に破れるが、翌1972年の中川の急逝に伴う市長選で返り咲いて、以後3期務める。この間、宇和島市庁舎の建設、宇和島市立病院の財政立て直し、20日雨が降らないと断水と言われた水問題の解消(須賀川ダムの建設、南予用水事業)など功績も多いが、別当地区ゴミ焼却場を巡る住民との裁判では控訴審で実質敗訴。4選を果たした1980年の市長選での選挙違反で自陣営の運動員が多数逮捕された責任をとって翌1981年に辞職。
1994年、地元の宇和島市で死去。享年89歳。



細木運河は、愛媛県宇和島市の蒋淵半島(三浦半島)の中部にある運河。

蒋淵半島は宇和海に突き出した形をしており、また季節風を避けるため先端部においては、浦は半島南側に発達したが、宇和島港へ向かう船舶は約8キロ程度の迂回を強いられるなど航行の障害となっており、また、半島西北のふぶしの瀬戸は小船にとっては難所であった。「いるか越」と呼ばれる地峡があり、かつては北灘や蒋淵村の漁民が宇和島方面に出向く際には、峠越えをしていたことから、明治中期以降幾度か掘削が構想されたが、実現しなかった。太平洋戦争後の1950年(昭和25年)の国土総合開発法による四国西南地域の開発事業の一つとして計画され、1956年(昭和31年)起工、1961年(昭和36年)に竣工した。総工費約1億円。
付近の海域は海面養殖が盛んであり、小型漁船の航行が主体となっている。かつては宇和島-鹿島航路の船舶が航行していた。運河の上部には橋梁が架けられ、県道が走っている。
・延長 190m ・幅員 20m ・水深 3m



船越運河は、愛媛県の由良半島の中部にある運河。宇和島市と南宇和郡愛南町との境に位置する。

由良半島は宇和海に長細く突き出ている。そのため、航行する船舶は半島先端の由良岬を回らねばならず、古くから船舶の航行には不便をきたしていた。由良半島のほぼ中央にある船越地区は地峡を形成しており、小型の漁船は船越地区で陸揚げされ横断することもあった。
運河開削には、船越地区が半島の中では最も運河開削に最適な場所とされた。1950年(昭和25年)の国土総合開発法による四国西南地域の開発事業の一つとして船越運河があげられた。1960年(昭和35年)起工、1966年(昭和41年)に竣工した。小型漁船の航行が主体である。現在は国土交通省四国地方整備局が管理する開発保全航路である。
運河上部には愛媛県道292号線の道路橋である船越橋が架かっている。運河の潮流は川のように速く、比較的透明度は高い。
・延長 200m ・幅員 25m ・水深 5m


地図で該当部分を見てみると、なるほど、確かに運河が開かれています。景気のいい時代は国土改造計画みたいなこともできたんですね。今回現地には訪れてはいませんが、いろいろ知識を得ることができました。
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Author: KD
由緒ある建造物、急峻な山城、遺構の残っていない平地城館、考証無視の模擬天守、すべて等しく探訪対象。一番好きな瞬間は超マイナーな城館で城址碑や標柱を見つけたとき。
© 2010 城館探訪記

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