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宇和島城① ~藤堂高虎の縄張り~

樺崎台場から、本日のメイン宇和島城へ。
すぐに街の真ん中にある小高い山が見えてきます。


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山上に見える天守

近くから見るより、このように城下から見上げた天守のほうが見栄えがいいかもしれません。

今回はあらかじめ城のそばのホテルを本日の宿営地として予約しており、先にホテルにチェックイン。これで駐車料金を気にせず城の探索をすることができます。この手法は和歌山城でも使ったもので、駐車料金の高い地域では特に効果を発揮します。



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竹二雀紋(竹輪笹に阿吽の向かい雀・宇和島笹)  
宇和島藩で伊達家宗家の紋をアレンジしたもの

城下部分にもいくつかスポットがありましたが、後で城下町散策としてまとめて掲載します。
午前中から降り続いていた小雨も上がり、探索にはちょうどいいコンディションになりました。



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城の北東側登城口 正面が城山

この城は基本的に北東側と南側の2か所の登城口しかありませんが、駐車場が整備されているのはこの北東側登城口のみなので、車で来た人は必然的にこちら側から登城することになります。駐車料金は60分100円なので、普通に利用しても問題なし。



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桑折氏武家長屋門(市指定文化財)

家老桑折氏の武家長屋門。昭和27年、戦後の復興事業に伴う道路拡張に伴って撤去せざるを得なくなり、桑折氏の好意により現在の位置に移転。建築年代は不明で、元禄16年(1703)以降の屋敷替えとなった際に改造されたものと推測しています。元々、桁行は35mでしたが、移転時に門番等の居住空間であった左室を撤去、約半分の15mとなっています。窓の増設や馬屋だった右室も居住部屋に改築されいますが、宇和島城下で唯一現存している武家長屋門として貴重な建造物で、昭和38年に市指定文化財となりました。(説明板参照)


本当はもう少し引いて全景をとりたかったのですが、門の前に車が3台ほど止まっていてどうしても写り込んでしまうのでこの位置からの写真に。この長屋門の向かって右側に説明板とパンフレットが設置されています。縄張図や旧絵図と現在の地図の照らし合わせなどが載っているので、ぜひとも入手しておきましょう。

宇和島城は慶長元~6年(1596~1601)、築城の名手と呼ばれた藤堂高虎いよって戦国時代の山城から近世の海城へと生まれ変わりました。当時は大半が海に面する地形を巧みに活かした縄張りでした。石垣や天守、櫓は、元和元年(1615)に入部した伊達家により修築されますが、基本的な城構えは高虎時代のものを踏襲しています。堀は全て埋められ、三之丸をはじめ総郭部分約28万㎡は失われていますが、本丸・二之丸等の郭を含む約10万㎡の城山は、国史跡(昭和12年)に、現存12天守の1つとなる天守は国重要文化財(昭和9年)、そして南側登城口城門の上り立ち門は市指定文化財(昭和38年)に指定されています。また、城山には約430種の草木が生い茂り、苔むした石垣群と織り成す幽玄の美の世界は一間の価値があります。(説明板参照)




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長屋門をくぐると正面には石垣が連なり、登城路は左手に折れます。
石垣沿いに少し進むと三之丸跡の説明板発見。

内堀をめぐらし、周囲を石垣と土塁で囲んだ堅固な郭です。慶長6年(1601)から延宝4年(1676)まで御殿が置かれた藩の中枢の場所でした。御殿移築後は側室の休息所などに使われますが、文久3年(1863)には御殿を取壊し調練所となります。明治以後は市街化が進み、当時の面影をのこすものは、目の前の石垣のみとなっています。(説明板参照)


左手の建物は宇和島郵便局。この郵便局から駐車場~消防署に至る一帯がかつての三之丸です。



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正徳元年(1711)の絵図と平成6年(1994)の地図

三之丸には三之丸御殿をはじめ枡矢倉・月見矢倉・潮見矢倉・桜門などがあり、堀(現在は埋め立てられて存在しない)の先には山里屋敷や馬屋などが建ち並んでいました。



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登城路は180度ヘアピンカーブをし山を登っていきます。
少し進み長屋門を見下ろす場所に来るとこの分岐。

せっかくなので左の道を選ぶぜ!(←?)



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Oh, ケワシイミチデース。



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鬱蒼とした木々に囲まれた石段を登っていくと、立派な石垣に遭遇。中腹にある井戸丸の石垣です。
マップによるとここを曲がった部分が井戸丸門跡で、写真奥が井戸丸矢倉石垣。
上下2段に分かれた曲輪であったようです。



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宇和島城の井戸

この井戸は、現在の城山に残る三つの井戸のうち、最も重要視せられたものである。ここを井戸丸といい、井戸丸御門、井戸丸矢倉などがあって、有事の時のため厳重に管理せられていたと推量せられる。井戸の直径2.4メートル、周囲8.5メートル、深さ約11メートルである。ここは城山の北側の谷の中腹、三の丸からの登り道に当たり、数少ない城山の遺構の一つである。(説明板参照)


「せられる」って表記好きだなあ。



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井戸丸からさらに上ると、北側の長門丸方面から登ってくる道と合流。
左手本丸方面へなおも登っていくと、頭上に立派な石垣の姿が・・・



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正面は本丸石垣。こんな山上にこれほどの高石垣を築くとは、さすが高虎といったところか。
(ただし現在の本丸周辺の石垣は伊達家の改修の手が加わっているもの)
この階段を登ったあたりが三の門跡



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三の門跡を左手に曲がると本丸下の帯曲輪。マップによるとこの場所左側にあったのが御書物矢倉、右手石垣の頭上には本丸の周囲を固める御弓矢倉が建っていたようです。



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再び三の門跡から、右手二の丸へ進む登城路に復帰。



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マップによるとこのあたりが二の門跡。門の礎石の一部が残っているものの門が想定される場所は現在石段になっており、この改変がいつの時期のものかはわかっていません。
左手頭上は本丸北角矢倉の跡。



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ここで振り返って、二の門跡付近からの天守の眺め。天守撮影のベストスポットの一つ。
比較対象が写ってないのでわかりにくいですが、この石垣の高さもなかなかのもの。



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二之丸跡

天守が建つ本丸の最終防御施設としてその目前に置かれ、眼下の雷門周辺に侵攻した敵を攻撃するために築かれた曲輪で帯曲輪と連結しています。(説明板より)


二之丸における幕末の改修は・修理は複数回行われたようで、これには安政2年(1854)に起こった大地震も関連していると考えられます。



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二之丸北端 御算用矢倉跡

絵図と実際の礎石とがほぼ一致しましたが、これらも幕末に改修・修理された痕跡があるとのこと。


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Author: KD
由緒ある建造物、急峻な山城、遺構の残っていない平地城館、考証無視の模擬天守、すべて等しく探訪対象。一番好きな瞬間は超マイナーな城館で城址碑や標柱を見つけたとき。
© 2010 城館探訪記

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