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宇和島市立歴史資料館

大洲の城下町からR56宇和島街道を南下。
西予宇和ICからは松山道無料区間を利用し、一気に宇和島へ。



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宇和島市街に入り、まず向かったのが宇和島市立歴史博物館。



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資料館の建物自体が文化財。
玄関ポーチのアーチ材中央にはキーストーンに模したものが設けられています。



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この建物は、初めは明治17年(1884)9月、宇和島広小路に「宇和島警察署」として建てられました。市内の70%が消失した戦災も免れた後、昭和28年(1953)2月、当時の南宇和郡西海町(現:愛南町)役場として同町に移築され、平成2年(1990)1月までその役目をはたしていました。庁舎が新築されるのを期に平成4年(1992)3月市民の協力などにより宇和島に里帰りをし、樺崎砲台跡そばに復元されました。
建築様式は擬洋風建築に分類され、明治初期の文明開化の時代にわが国の建築工匠たちが社会の要望にこたえるべく、西欧の技術を懸命に習得した頃のものです。
復元に当たって調査の結果、小屋組みの合掌には隅合掌(すみがっしょう)や蕪束(かぶらづか)も見事にこなすなど、高度な水準の洋風技術の吸収が確認され、格調高い西洋風建築の外観とともに、建築史上でもきわめて注目に値するものであります。
このような擬洋風建築物については西日本に少ないことからも、当時の宇和島の先駆性を物語る歴史的価値の高い建物であるといえるでしょう。
平成8年(1996)12月3日には国内第1期(愛媛県では第1号)の登録文化財(登録番号38-0001)になりました。
(宇和島市HP参照)




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パークス宇和島来港150周年



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資料館は入館無料。素晴らしいことです。
通常記念スタンプと各種資料を入手。



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常設第1展示室「華宵の部屋」

高畠 華宵

上京して生活苦の中、1911年に「華宵」の名で描いた津村順天堂の「中将湯」広告画が一躍有名になる。アール・ヌーボーやユーゲントシュティール、特にオーブリー・ビアズリーの影響を受けたとされるシャープなペン画はそれまでの広告イラストとは一線を画したもので、そのモダンさは時代の注目を集めた。

その後『少女画報』(東京社)『少女倶楽部』『少年倶楽部』(いずれも講談社)『日本少年』『婦人世界』(いずれも実業之日本社)などの少女向け雑誌や少年雑誌、婦人雑誌などに挿絵として描いた独特の美少年・美少女の絵や美人画は一世を風靡し、たちまち竹久夢二らと並ぶスター画家となった。1926年には華宵便箋・封筒を発売するなど、現代でいうメディアミックス風のプロモーションも行うことによりさらに名声は高まり、「銀座行進曲」(正岡容作詞、1928年)中で「華宵好みの君も往く」と歌われるほどになった。鎌倉・稲村ヶ崎一の谷(いちのやと)に建てた異国情緒あふれる豪邸は「華宵御殿」と呼ばれ、華宵の趣味が凝縮したものとして注目を集めた。華宵御殿には、全国の女性(とくに女学生)からのファンレターが殺到した。極端な例では、地方の令嬢が華宵御殿見たさに家出するという事件も起こった。一方高い人気を背景に、画料は華宵の言い値で決まっていたとされ、高騰に歯止めをかけようと1925年に交渉に訪れた『少年倶楽部』の加藤謙一らに対しては、寄稿の取りやめで応じたという。

しかし戦争色が色濃くなってきたこともあり、絶頂の1937年ごろから雑誌などの活動を停止。一般大衆の間ではその爆発的人気は永続せず、戦後華々しいカムバックとはいかなかった。1960年代に再評価を受けるまではやや歴史の中に埋もれた存在となっていた。それでも完全に忘れ去られることはなく、昭和中後期における少年少女、婦人雑誌の人物の挿絵は華宵の影響を受けたものが多い。漫画家の丸尾末広も華宵の画風に影響を受けていることがよく知られている。

画風
人物画が中心。連載小説の挿絵・雑誌口絵・レターセットなどの小物の意匠などに使われた。独特の三白眼を有する、無国籍風な表情と中性的な雰囲気をもつ人物を描く。妖艶さと清楚さを併せ持つ少女画・美人画と、凛々しく潔い、しかしやはりどこか色香を漂わせる少年画はいずれも一目で彼の作品とわかるほどの個性を放っている。また、明治から昭和初期にかけての和装・洋装を含むありとあらゆる服装・髪型・アクセサリが画題となっていることも注目される。描かれるファッションのレパートリーは幅広く、たとえば和服については生涯にわたって同じ柄の着物を二度以上描いたことがないと豪語したとも伝えられるほど衣服デザインは多彩だった。実際、彼は浴衣や洋服のデザインを行いそれが雑誌口絵に鳴り物入りで掲載されるなど、時代のファッションをリードするデザイナーとしても活躍した(雑誌口絵にはそのデザイン服は「華宵好み」という名を冠して掲載された)。そのレパートリーの広さを存分に生かした渾身の大作が「移り行く姿」(昭和初期、現在は個人蔵)である。これは明治から昭和初期にかけての女性ファッションの移り変わりを、六曲一双の屏風の中に配された60人以上の女性の姿として描きあげた作品である。暑い季節に寝食を忘れてこの絵を描き挙げた華宵はそのためすっかりやせ衰えてしまったという弟子の証言があるほどの、一世一代の力作であった。

幾多の美女・美少女・美少年を描き続けたが、特定のモデルはいなかったとされている。また自身はまったく浮いた話がなく、実際生涯独身であった。縁談を勧められたとき「私には絵の中の女たちがいますから」といった切り返しで答えた話は有名である。
(wiki参照)


撮影はご遠慮くださいとあったのでここでは掲載しませんが、「少年展」にふさわしい中性的な美少年の絵画が多く展示されていました。



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「宇和島市街埋め立ての記録」というコーナーもあります。
これは永禄16年の城下絵図。



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平成8年の市街図

赤丸は現在地を表しています。



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2階の展示室は歴史資料館というよりは自然博物館的な展示内容。



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「最後の小型焼玉エンジン」「旧日本海軍魚雷酸素式機関部」

魚雷は旧宇和島海軍航空隊甲種飛行予科練習生実習用教材であったとのこと。
ともに資料館の庭に展示されています。

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Author: KD
由緒ある建造物、急峻な山城、遺構の残っていない平地城館、考証無視の模擬天守、すべて等しく探訪対象。一番好きな瞬間は超マイナーな城館で城址碑や標柱を見つけたとき。
© 2010 城館探訪記

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