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首里城⑧ ~琉球国王印、拝受~

城内はあらかた見学し終わりましたが、スタンプはまだ3つ空きが残っています。しかもその3つはすべて現在地から離れたところに固まっていますが、ここまで来たら完全制覇を目指すよりほかありません。

再び園比屋武御嶽石門の前を通り、城の北側を城壁沿いに進みます。



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あっネコちゃん

雨宿りしないと。



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歴史を語るアカギの大木



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先ほど内側から見た久慶門。今度は城外側から。
外側から見たほうがより城壁も高く威圧感を感じます。



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延々と伸びる城壁 

すばらしいな・・・

ここから少し北に進むと次なるスタンプスポット。



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円覚寺跡

かつて首里城周辺には仏教の寺院や御殿(うどぅん)等が多数あり、屋敷を囲む石垣や鬱蒼とした樹木と相まって王都の雰囲気を醸し出していた。その中でも寺院の代表的なものが「円覚寺」である。

この寺は1494年に創建された沖縄における臨済宗の総本山で、第二尚氏王統歴代国王の菩提寺であった。寺は禅宗の「七堂伽藍」の形式で建造され、境内には多くの建物が配置されていた。

中でも仏殿は琉球建築の粋を集めた建築物で、内部中央の須弥壇(しゅみだん)には仏像が安置され、装飾が施されていた。1933年(昭和8)に総門、山門、仏殿等計9件が旧国宝に指定されていたが、すべて沖縄戦で破壊された。

その後1968年(昭和43)より復元整備が進められ、現在総門とその両側の石垣、右脇門、放生池(ほうじょうち)が復元された。なお、池にかかる放生橋は往時のもので、国指定重要文化財である。




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放生池と放生橋

橋の勾欄羽目の彫刻は精緻を極め、沖縄の石彫美術の最高傑作といわれています。



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スタンプは総門の下に設置。雨が強くなっていたので雨宿りしつつ、久々にゆっくり押印。
これまで雨ざらしの中押印してきた箇所が多く、台紙がしわしわになってしもた。

円覚寺総門スタンプ [23/25+2/2]



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弁財天堂と円鑑池

「円覚寺」の前の池は「円鑑池(えんかんち)」、池の中央にある赤瓦の堂を「弁財天堂(べざいてんどう)」という。

「円鑑池」は1502年に造られた人工池で、首里城や円覚寺からの湧水・雨水が集まる仕組みになっている。また、ここからあふれた水が隣の池「龍潭(りゅうたん)」へ流れている。沖縄戦で破壊されたが、1968年(昭和43)に修復された。池の水深は3メートルほどである。

「弁財天堂」は航海安全を司る水の女神・弁財天を祀っていた。建物は当初1502年に朝鮮から贈られた方冊蔵経(ほうさつぞうきょう)を納めるために建立されたが、1609年の薩摩侵入で破壊された。 1629年に修復、このとき円覚寺にあった弁財天像を安置したが、その後荒廃したため1685年に薩摩から新像を移した。しかし、これも沖縄戦で破壊され、その後1968年(昭和43)に復元された。




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ここで残り2つのスタンプがまとめて設置されていました。

弁財天堂スタンプ [24/25+2/2]
龍潭スタンプ [25/25+2/2]

ついにコンプリート!
結構しんどかったなあ。全て雨が悪い。



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天女橋

堂にわたる小橋は「天女橋(てんにょばし)」と呼ばれ、中国南部の駝背橋(だはいきょう)の特徴をもち、石の欄干には蓮の彫刻等が施されている。




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弁財天堂でまた雨宿り



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龍潭

「龍潭(りゅうたん)」は1427年に造られた人工の池である。

かつてこの付近に建てられていた沖縄最古の碑文「安国山樹華木記」によれば、国相懐機が中国におもむき、造園技術を学んでこれを造ったとされている。

碑文には「安国山に龍潭を掘り、香りのする木や花を植え、万人が利用できるようにして太平の世のシンボルとして永遠の記念とした」などと記されている。当時、庶民がくつろいでいた名勝であったことがうかがえる。 ここでは中国皇帝の使者・冊封使を歓待する船遊びの宴も行われた。

この「龍潭」と隣の「円鑑池」から首里城へかけて急傾斜地の緑地があるが、ここは通称「ハンタン山」と称され、戦前は高さ10メートル以上の鬱蒼(うっそう)たるアカギの大木の林であった。




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円鑑池と龍潭の配置(久慶門の説明板より)

水は城内の寒水川樋川(すんがーひーじゃー)から久慶門外の排水溝を抜け円鑑池→龍潭へと注ぎます。



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円鑑池と龍潭の間の水路にかけられたアーチ状のこの橋は「龍淵橋(りゅうえんきょう)」といい、天女橋と同年代の建造と推定されています。

・・・トリがたくさん。なんぞこれ?



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首里城 鳥」でネット検索すると、すぐに情報が出てきました。この鳥は「バリケン」と呼ばれるカモの一種で、「タイワンアヒル」とも呼ばれているようです。一応日本全国に分布はしているようですが、正直本土ではあまり見かけないこのバリケンは、首里城公園の、特に円鑑池周辺で大繁殖しているとあります。

<参照サイト>
首里城公園の謎の鳥・バリケン(大繁殖中)

結構雨が降りしきっているのですが全く意に介さず、水の中をもごもごしている鳥もいます。
近づいても全く逃げず。顔面が妙にごつごつしていますが、動物好きの私からすればまあまあかわいい。
上の参照サイトではバリケンの子供の写真があります。超かわいい!



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重修天女橋碑記

「重修天女橋碑記」は、円鑑池の中島にある弁財天堂に架けられた天女橋を1744年(乾隆9)に改修した記念に建立された石碑が、後に倒壊したため、1798年(嘉慶3)に新たに建てられたものである。このため同碑は、乾隆9年の碑文内容をそのまま取り込んだ上で嘉慶3年の建碑情報を新たに追加した石碑となっている。
碑文には乾隆9年の文面に続けて嘉慶3年の記事が刻まれており、表文が弁財天堂および天女橋の来歴、裏文が天女橋の改修及び石碑建立の経費、さらに嘉慶3年の新碑建立の経費等となっている。
石碑は、1945年(昭和20)の沖縄戦で破壊されたが、碑の一部が沖縄県立博物館に残されている。本碑は碑の一部や拓本・写真等をもとに復元したものである。




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第32軍司令部壕

ハンタン山の緑地の中に散在するコンクリート建造物。沖縄の守備を担う陸軍第32軍は、決戦に備え首里城の地下にコンクリートで固めた壕を作り、1945年1月司令部を移しました。この壕は延長は1km以上、1トン爆弾にも耐えられるという堅牢なもので、1000人以上の兵士がいたといいます。以来ここで沖縄戦の総指揮を取っていましたが、米軍が迫るにつれ、5月22日に本島最南部の摩文仁に撤退しました。6カ所の入口のうち今も残っているのは南側の1か所だけで、内部は壁が崩れるなど危険なため公開されていません。

首里城の地下に司令部を築いたことにより、首里城は米軍の空爆砲撃により壊滅状態となりました。
陸軍である第32軍とは別ですが、沖縄根拠地隊司令官の大田海軍中将の遺した有名な次の言葉。

沖縄県民斯ク戦ヘリ
県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ


ネット上のエセ右翼に1000回復唱を命じたい。


・・・さて、


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コンプリートしたスタンプラリー。
首里杜館の案内所にて提示すると、記念グッズをもらえました。



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国王印

これ正殿内部で見た満州文字併記の17世紀版の琉球国王印ですね。



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国王印押印

いい記念になりました。



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所在:沖縄県那覇市首里金城町1丁目
評価:★★★★★

熊本城以来の赤五つ星。琉球王国の王城なだけあり、城郭としての見どころのほかにも、政治・信仰・文化面でも見ごたえあります。スタンプラリーも全部集めるのは大変でしたが、今となっては楽しい思い出です。いろいろなものが復元されていってる感じも個人的に好きなポイント。次回訪問は御内原が全面公開された時かな。
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Author: KD
由緒ある建造物、急峻な山城、遺構の残っていない平地城館、考証無視の模擬天守、すべて等しく探訪対象。一番好きな瞬間は超マイナーな城館で城址碑や標柱を見つけたとき。
© 2010 城館探訪記

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