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首里城⑦ ~城内最大の祭祀空間・京の内~

正殿から有料見学区域の最終見学ポイント、北殿へ。

北殿はかつては北の御殿(にしのうどぅん)、議政殿(ぎせいでん)とも呼ばれていた。
創建は1506~1521年頃とされ、記録によると1709年の首里城の大火で他の建物とともに焼失し、1712年頃再建された。通常は王府の行政施設として機能し、表15人衆(大臣)や筆者、里之子(さとぅぬし)と呼ばれる役人等が働いていた。

北殿は南殿・番所同様、鉄筋コンクリート造として外観を木造で復元している。館内では、パネルなどで首里王府の位置やしくみ、冊封式典などを解説し、映像による展示も行っている。


北殿スタンプ [17/25+2/2]

ちなみにこの北殿は、沖縄サミットの晩餐会に利用された場所なんだそうです。
内部の展示をいくつか紹介。



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朝拝御規式」模型

朝拝御規式(ちょうはいおきしき)は琉球王国時代に行われていた朝賀の儀式。



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御庭に引かれていたライン(磚)は、儀式の際に諸官が位の順に立ち並ぶ目印の役割をもっていました。



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正殿2階・唐玻豊(からはふ)には国王の姿が



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資料豊富で勉強になります


さて、北殿を後にするところで私は誤算に気が付きます。予定では有料区間を見終わった後に「京の内」方面に戻ってスタンプを回収するつもりだったのですが(その④参照)、北殿からルートに従って退出すると京の内方面とは正反対側に出てしまいます。ルートに逆行して奉神門から京の内方面に戻ることも無理をすればできなくはなさそうでしたが、そうすると今度は正規ルートである右掖門方面に行けなくなってしまいます。なんてこったですよ。1秒ほど逡巡をした結果、正規ルートから2週目に向かうことに決定。



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右掖門(うえきもん)

「右掖門」は眼下に見える歓会門(かんかいもん)、久慶門(きゅうけいもん)から淑順門(しゅくじゅんもん)へ直接通じている門で、往時は淑順門から御内原(おうちばら)へ入った。この門は歓会門から東にあり、ほぼ直線で約160メートルの石畳道が続いている。

別名「寄内御門(よすふぃちうじょう)」ともいい、創建は15世紀頃と伝えられる。沖縄戦で焼失したが、1992年(平成4)に櫓から下の城壁部が復元され、2000年(平成12)に櫓が復元された。

現在はルートの関係上、御庭(うなー)からの出口として利用されている。


右掖門スタンプ [18/25+2/2]



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右掖門を潜らず右手に曲がると、城壁の先にもう一つの門が現れます。



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淑順門(しゅくじゅんもん)

「淑順門」は国王やその家族が暮らす御内原(おうちばら)と呼ばれる場所への表門で、琉球語の古称は「みもの御門」「うなか御門」である。
建物の創建年は不明とされており、2010年(平成22年)に復元された。
門の造りは櫓門形式・入母屋造・本瓦葺となっている。




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説明板より 位置関係図

ちなみにこの説明板に掲載されている昭和初期の淑順門の写真はかなり荒廃した状態になっています。



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御内原方面は鋭意復元作業中。訪問時にはまだ立ち入ることができませんでした。

ここで戻り、右掖門を潜ると右手に表示が。



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首里城北城郭西地区の供用開始」

つい半月前くらいに供用エリアが拡大したようです(訪問時は平成28年4月11日)。東側は淑順門の下まで進むことができます。今後はさらにその先まで供用範囲が広がっていくものと思われます。



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久慶門(きゅうけいもん)

「久慶門」は別名「ほこり御門」ともいう。歓会門(かんかいもん)が正門であるのに対し、ここは通用門で主に女性が利用したといわれている。国王が寺院を参詣したり、浦添から以北の地方へ行幸するとき等に使用した門であった。創建は1477~1526年(尚真王代)といわれ、1983年(昭和58)に復元された。

順路の関係から現在は出口専用になっているが、往時は日常的に人々が出入していた門である。


久慶門スタンプ [19/25+2/2]

地形の関係で、この周辺は城内に降った雨が地下水として湧き出てくる場所にあたります。



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寒水川樋川(すんがーひーじゃー)

瑞泉門前の龍樋とならんで首里城内の重要な水源。あふれ出た水は地中の溝を通り、久慶門外部排水溝から再び地中に入り、門の向かい側にある円鑑池に抜けました。円鑑池が満水になるとその水はさらに龍潭に注ぎこむ構造になっているようです。


・・・ここから2週目開始。
再び階段を登り、瑞泉門から城内中枢部へ。



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2度目の漏刻門。さらに広福門を抜け、下之御庭へ。ここまでは無料区間なので再度入場料を支払うという最悪の事態は避けられましたが、雨の中再度の階段高速登りは体力面よりも精神面に来るものがあります。



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京の内(きょうのうち) 

「下之御庭」南側の石垣の向こう側は「京の内」という城内最大の信仰儀式の場である。

首里城発祥の地ともいわれ、琉球独自の信仰の最高位に位置する聞得大君(きこえおおきみ)や大アムシラレといった神女たちが、ここで王家繁栄、航海安全、五穀豊穣等を神に祈っていた。


この写真、その④で系図座から出て来た時に撮ったものと全く同じ構図です。あの時素直にアドバイス通りの順序にしておけば、もっと効率よく回れたものを・・・



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琉球王国では国王を中心とした男性中心の行政組織のほかに、聞得大君と呼ばれる女性を中心とした神女組織があり、信仰や祭祀の面から王国を支えていました。その神女にとって重要な信仰の対象が「十嶽」と総称される城内各所に配置された御嶽群であり、中でも重要な御嶽が「京の内」にありました。『おもろさうし』によれば、城内最大の聖域空間である「京の内」は「けおのうち」と表記され、一般的に「気の充満する聖域」の意味に解釈されています。

なるほど、某ゲームの首里城ちゃんは巨大化するたびに「けおのぅちー!」と叫ぶのですが(かわいい)、それはこの場所のことだったのか。重要計略の気生成トークンを使えるのもきちんとした根拠があったのですね。

現在この「京の内」内には4か所の御嶽が復元されていますが、時間の関係でそれらすべてを回ることができず残念。

京の内スタンプ [20/25+2/2]



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西のアザナ(いりのあざな)

標高約130mの城郭の西側に築かれた物見台で、ここからは那覇の町や那覇港の様子、そして遠く水平線上に慶良間諸島などが展望できる。

別名「島添(しまそえ)アザナ」ともいい、往時はここに旗を立て、鐘を備えて時刻を報じた。城外、城内を眺望するには最高の場所である。


雨降りでもかなりの範囲を見わたせました。晴れていたらさぞ気持ちいい眺めになっていたでしょうね。

西のアザナスタンプ [21/25+2/2]



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木曳門(こびきもん)

王朝時代、城の修復工事のときにのみ、資材の搬入口として使用された門。普段は石積によって封鎖され、数年に1度といった頻度で行われる工事のときだけそれを撤去して使用したといいます。現在は見学ルートとして開放。

木曳門スタンプ [22/25+2/2]



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木曳門からいったん城外へ。立派な城址碑発見!

次回首里城完結。スタンプは残りあと3つ!


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Author: KD
由緒ある建造物、急峻な山城、遺構の残っていない平地城館、考証無視の模擬天守、すべて等しく探訪対象。一番好きな瞬間は超マイナーな城館で城址碑や標柱を見つけたとき。
© 2010 城館探訪記

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