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首里城④ ~王国の栄華を物語る正殿~

広福門をくぐると下之御庭(しちゃぬうなー)と呼ばれる広間に出ます。


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下之御庭の位置

「下之御庭(しちゃぬうなー)」とは、沖縄の表現で「下の庭」という意味である。
首里城正殿のある「御庭(うなー)」へ入る前の広場で、正殿前で行われる様々な儀式の控え場であり、正殿の建築工事の際には資材置場等として使用された。現在は城内でのイベント等の際に利用されている。




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系図座・用物座

「下之御庭」の西側にある建物は、「系図座(けいずざ)」と「用物座(ようもつざ)」という役所があった建物である。「系図座」は士族の家系図を管理していた役所、「用物座」は場内で使用する物品、資材等の管理を行った役所である。


系図座では上記のほかにも琉球の歴史書(「中山世譜」「球陽」)などが編集されています。用物座では中国や薩摩藩・江戸幕府などへの貢物を管理していたといいます。

創建年は不明。建物は明治期に撤去され、2000年に復元。内部は休憩所兼情報案内所として使用されています。



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ここが下の案内所(その①参照)で100名城スタンプ設置場所と教えられたところで、さっそく建物内の案内所にて係の人に聞いてみると、カウンターからスタンプを出してくれました。
シャチハタタイプで良好、無事押印。これで94箇所目。



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「首里城公園スタンプラリー」のほうは、2つ目の記念スタンプがここ系図座・用物座内にあります。



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通常スタンプ「系図座・用物座」も一つ追加。中間状況はこんな感じ。

[10/25+1/2]→[11/25+2/2]

ここまでは道なりに進みながらスタンプを集めることができましたが、残ったところは結構広範囲に散らばっており、8割集めるのは難しくなくとも全部集めるのはそこそこ大変と感じます。



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各種スタンプを押す私を見ていたここの係の女性は、よかったらということであわせてカードやらシールやらパンプレットやら、いろいろなグッズを渡してくれました。ありがたくいただきました。



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系図座内休憩所から

修学旅行の団体は先に行かせることにしましょう。というか、ほんとに一直線ルートを進むのねあの子たち。

系図座内にはほかにも資料展示や映像紹介があったので、軽く眺めてから再出発。

そういえば、ここの係の女性から「スタンプラリーの完全制覇を目指すなら、先に10~12番までのスタンプを押しておいたほうがいいですよ」という貴重なアドバイスをいただいていたのですが・・・



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系図座から出ると、10番スタンプ(「京の内」)の設置場所があるが・・・

ここで私は何を思ったか、せっかくのアドバイスに従わず、10~12番スタンプの回収を後回しにしてしまったのです。先に正殿内を見てからこちら方面に戻ってまとめて回収しようと考えたわけですが・・・結果的にはこの判断によりかなりの遠回りをすることになります。



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ここからの有料区間を見学するには入館券が必要。大人820円とお高し。
考えてみればここまで無料で見まわることができるのもなかなかすごいことですが。



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下之御庭にある首里森御嶽(すいむいうたき)

城壁の手前にある礼拝所を「首里森御嶽(すいむいうたき)」という。「琉球開闢(かいびゃく)神話」によれば、神が造られた聖地であるとされている。また、城内にはここを含めて「十嶽(とたけ)」と呼ばれる10ヶ所の礼拝所があったといわれる。

琉球最古の歌謡集『おもろさうし』にも「首里森御嶽」に関する詩歌が多数登場する。1997年(平成9)12月に復元された。


首里城内で最も格式が高い拝所の一つ。国王が城外の寺社に出かけるときにこの御嶽で祈りをささげ、神女たちが多くの儀礼を行ったといいます。

首里森御嶽スタンプ [12/25+2/2]



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奉神門(ほうしんもん)

「神をうやまう門」という意味で、首里城正殿のある「御庭(うなー)」へ入る最後の門である。1562年には石造欄干(せきぞうらんかん)が完成したという記録があることから創建はそれ以前である。その後1754年に中国の制に倣い改修した。建物は明治末期頃に撤去されたが、1992年(平成4)に外観が復元された。

別名「君誇御門(きみほこりうじょう)」ともいう。向かって左側(北側)は「納殿(なでん)」で薬類・茶・煙草等の出納を取り扱う部屋、右側(南側)は「君誇(きみほこり)」で城内の儀式のとき等に使われた。




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ここ奉神門より先が有料区域



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奉神門前の天水甕

奉神門前の下之御庭には、少なくとも4基の大きな甕が地中に埋まるように設置されており、その状況は古写真や絵図資料に表現されており、発掘調査でも確認されています。消防用の水を貯めていたのではという推測がされています。現在の甕は復元されたもの。



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中央の門から有料区域へ。ここで入館券のチェックがあります。

ちなみに往時は奉神門の3つの門のうち中央は国王や中国からの冊封使等限られた身分の高い人だけが通れる門であり、それ以外の役人は両側の門から入城していました。

奉神門スタンプ [13/25+2/2]



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やってきました、御庭(うなー)

「御庭(うなー)」は首里城の中心部である。正面が「正殿」、向かって右(南側)が「南殿・番所」、左(北側)が「北殿」で、これらに囲まれた中庭広場の空間を「御庭」という。

年間を通じて様々な儀式が行われた広場である。御庭には磚(せん)【敷き瓦】というタイル状のものが敷かれているが、この色違いの列は、儀式の際に諸官が位の順に立ち並ぶ目印の役割をもっていた。

中央の道を「浮道(うきみち)」といい、国王や中国皇帝の使者(冊封使)等限られた人だけが通ることを許された。




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あの角の部分にあるのが左掖門(さえきもん)

左掖門は、暗シン御門とも呼ばれている。黄金御殿の1階に位置し、壁と天井に囲まれたトンネル状の形態で、通路の途中で一度くねっており迷路を思わせる造りであるため、昼間でも薄暗い場所となっていた。

門の歴史的変遷は、黄金御殿と同じと考えられる(1671年に創建、1709年に焼失、1715年に再建)。

王国時代に行われた祭祀・儀礼において、御内原にいる神女たちは、左掖門を通過して、御庭に至ったと推定されている。つまり左掖門は、神女たちが「内」から「表」へ向かうための通路であり、また、御内原側からしか開けられない造りになっていたとされることから、ごく限られた時にしか使われなかったと考えられる。




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正殿

正殿は琉球王国最大の木造建造物で国殿または百浦添御殿(ももうらそえうどぅん)とよばれ、文字通り全国百の浦々を支配する象徴として最も重要な建物であった。

木造の三階建で、一階は「下庫理(しちゃぐい)」と呼ばれ、主に国王自ら政治や儀式を執り行う場、二階は「大庫理(うふぐい)」と呼ばれ、国王と親族・女官らが儀式を行う場であった。三階は通気を目的とした屋根裏部屋である。

創建年は、復元に先立って実施された発掘調査から14世紀末頃と見られている。その後ほぼ同位置で数度の焼失・再建を繰り返してきた。現在の建物は18世紀初めに再建され、沖縄戦で焼失するまで残っていた正殿をモデルに1992年(平成4)に復元したものである。

正殿の建築は、中国の宮廷建築と日本の建築様式を基本にしながら琉球独特の意匠にまとめられている。正面の石階段の両脇に龍の彫刻があるが、これを「大龍柱」と言い、手すりの奥にはもう一対「小龍柱」がある。その他柱や梁等にも龍の彫刻が多数施されている。龍は国王の象徴であり、たくさんの龍が首里城には棲んでいる。




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首里城の中心的な建物にふさわしい装飾が施されています。壁等の彩色塗装には桐油が塗られており、下地の一部は漆であるとのこと。
琉球王国の息吹を伝える雄姿と言っても差し支えありません。



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「大龍柱」。奥にはもう一対の「小龍柱」もあります。
装飾化した龍柱は日中にも類例がなく、琉球独自の形式といえそうです。

それでは建物内の見学に移りましょう。


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Author: KD
由緒ある建造物、急峻な山城、遺構の残っていない平地城館、考証無視の模擬天守、すべて等しく探訪対象。一番好きな瞬間は超マイナーな城館で城址碑や標柱を見つけたとき。
© 2010 城館探訪記

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