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首里城③ ~正殿への道~

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守礼門側から見て園比屋武御嶽石門の右手を上がると、高い城壁と第一の門が現れます。
スタンプや各種説明板も設置されています。

以下引用は全て首里城公園HPより。



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歓会門

首里城の城郭内へ入る第一の正門で、「歓会(かんかい)」とは歓迎するという意味である。往時、首里城へは中国皇帝の使者「冊封使(さっぽうし)」が招かれたが、こうした人々を歓迎するという意味でこの名が付けられた。

首里城は外郭と内郭により二重に囲まれているが、ここは外郭の最初の門で、別名「あまえ御門(あまえうじょう)」ともいう。「あまえ」とは琉球の古語で、「喜ばしいこと」を意味する。

創建は1477~1500年頃(尚真王代)で、沖縄戦で焼失したが、1974年(昭和49)に復元された。門は石のアーチ状の城門の上に木造の櫓が載せてある。このスタイルは後述する久慶門(きゅうけいもん)、継世門(けいせいもん)、等と同じである。




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門の両側に置かれているシーサー。魔除けの意味があります。

歓会門を過ぎると、右手頭上には内郭の城壁がそびえる。



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内郭への登り階段の途中にはいくつもの石碑が並び立っています。
これらの石碑が冊封七碑(さっぽうしちひ)です。

「冊封七碑」とは、龍樋の周辺に設置されている七つの石碑のことである。
中国皇帝の使者として琉球国王の即位を宣言するために遣わされた歴代の「冊封使」たちは、龍樋の水の清らかさを讃え、漢詩を詠んだり題字を残した。それらの碑は沖縄戦で破壊され、ほとんど現存しないが、1984年(昭和59年)発掘調査の際に「飛泉」という割れた石碑が発見され、沖縄県立博物館に保存されていた「漱玉」という石碑の残り半分であることが判明し当時話題になった。「飛泉漱玉(ひせんそうぎょく)」とは清らかな泉が玉のように飛び散っているという意味である。




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現在ある七碑は拓本をもとに復元されたもので、この写真は「中山第一」(ちゅうざんだいいち)碑。
題字者:徐葆光(じょほこう)
来沖年:1719年
大意:泉の水量は、水質は琉球第一の泉である。



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(左)逆光で見えにくいですが霊脈流芬(れいみゃくりゅうふん)碑。
題字者:趙新(ちょうしん)
来沖年:1866年
大意:霊妙の水脈から出る薫り高い流れである。

(右)通常の私ならすべての碑を一枚一枚写真に収めるところですが、相変わらず修学旅行生の団体が絶妙な距離感でもって追ってきているため、悠長に撮影している余裕がありませんでした。

写真はありませんが、その他5つの碑の題字者・大意は以下のとおり。

雲根石髄(うんこんせきずい)
題字者:全魁(ぜんかい)
来沖年:1756年
大意:山の高いところの穴から湧き出る石の乳である。

暘谷霊源(ようこくれいげん)
題字者:趙文楷(ちょうぶんかい)
来沖年:1800年
大意:東のはての日の出るところにある不可思議な泉である。

活潑潑地(かつはつはつち)
題字者:斉鯤(せいこん)
来沖年:1808年
大意:魚がはねるように水の勢いが極めて活発な泉である。

源遠流長(げんえんりゅうちょう)
題字者:林鴻年(りんこうねん)
来沖年:1838年
大意:泉は源が遠く流水が長い。

飛泉漱玉(ひせんそうぎょく)
題字者:高人鑑(こうじんかん)
来沖年:1838年
大意:清らかな泉があたかも玉のように飛び散っている。



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ちなみにこの登り階段の途中(矢印のところ)に龍樋という泉があったのですが、なぜか写真が残っていません。ちゃんと撮った記憶はあるんだけれどなあ。

「龍樋(りゅうひ)」は、龍の口から湧水が湧き出していることからそのように名付けられた。この水は王宮の飲料水として使われていた。また、中国皇帝の使者・冊封使が琉球を訪れたとき、那覇港近くにあった「天使館」という宿舎まで、毎日ここから水を運んだといわれている。

龍の彫刻は1523年に中国からもたらされたもので、約500年前のものである。





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瑞泉門

「瑞泉(ずいせん)」とは「立派な、めでたい泉」という意味である。

門の手前右側にある湧水が「龍樋」と呼ばれ、それにちなんでこのように名付けられた。ここは第二の門で、別名「ひかわ御門」ともいう。

「樋(ひ)」は川や泉から水を導く長い管、または溝、あるいは屋根の雨水を受けて地上に流す装置(掛け樋)等のことをさす。一方、沖縄で井戸や泉のことをすべて川(カワまたはカー)と表現する。「ひかわ」とは、こうした表現を合わせた言葉で、フィージャーガーとも発音する。

創建は1470年頃で沖縄戦で焼失したが、1992年(平成4)に復元された。門の両脇には一対の石獅子が並んでいる。これも魔除けの意味で置かれている。

瑞泉門は先に見たアーチ状の石門の歓会門とは異なり、双璧の門の上に直接櫓がのっている。このタイプの櫓門は日本本土の城門でも見ることができるが、櫓の中央の「瑞泉」という扁額が琉球独特の持ち味を出している。


瑞泉門を過ぎるとすぐにまた似たような形の門が現れます。



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漏刻門

「漏刻(ろうこく)」とは中国語で「水時計」という意味である。ここは第三の門で、別名「かご居せ御門」ともいう。

当時、身分の高い役人は駕籠にのって首里城へ登城したが、高官でも国王に敬意を表し、この場所で駕籠から下りたということからそのように呼ばれている。創建は15世紀頃である。

門の上の櫓に水槽を設置し、水が漏れる量で時間を計ったといわれている。時刻を測定すると係の役人がここで太鼓を叩き、それを聞いた別の役人が東(あがり)のアザナと西(いり)のアザナおよび右掖門(うえきもん)で同時に大鐘を打ち鳴らし、城内および城外に時刻を知らせた。

この「漏刻」の制度については、1456年の朝鮮の記録に「(琉球のそれは)我が国のものと何らかわりない」と記されている。


先の瑞泉門と同じような造りですが、門前のシーサーはいません。



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現時点で二重の城壁の内側に入っていることがよくわかります。高低差も意外とあります。



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日影台

「漏刻門」の正面に置かれているのが「日影台(にちえいだい)」という日時計である。往時もこの場所におかれ、水時計の補助的な道具として使われた。

1739年、従来の漏刻は不完全であるとして、はじめて日影器を製作し設置したと伝えられる。以後、この時間制度は1879年(明治12)廃藩置県まで続いた。




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日影台は十二支が刻まれた時刻板に銅製の棒が取り付けられ、その日陰によって時刻を測っていました。日影台の示す時(地方太陽時)は、日本標準時に対して約30分遅れています。この日影台の姿は古図や古写真にも残されています。



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日影台の奥にある供屋。
中にある鐘を覆う建物で、2000年に復元。



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万国津梁の鐘

この鐘は歴史資料では1458年に首里城正殿に掛けられていたと記録されているが、具体的な設置場所が不明であるため、当面ここに設置している。

沖縄県立博物館に収蔵されている「万国津梁の鐘」のレプリカである。鐘には「琉球国は南海の美しい国であり、朝鮮、中国、日本との間にあって、船を万国の架け橋とし、貿易によって栄える国である。」という主旨の銘文が刻まれており、往時の海洋王国としての誇らしい心意気が示されている。


琉球國者南海勝地而 鍾三韓之秀以大明為
輔車以日域為脣歯在 此ニ中間湧出之蓬莱
嶋也以舟楫為万國之 津梁異産至宝充満十
方刹

琉球国は南海の勝地にして
三韓の秀を鍾め、大明を以て輔車となし
日域を以て脣歯となす
此の二者の中間に在りて湧出する所の蓬莱島なり
舟楫を以て万国の津梁となし
異産至宝は十方刹に充満せり


「舟楫を以て万国の津梁となし」を意訳すると「船を操って世界の架け橋となり」となります。



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広福門

「広福(こうふく)」とは、「福を行き渡らせる」という意味である。「広福門」は別名「長御門(ながうじょう)」といい、第四の門である。建物そのものが門の機能をもっており、この形式も首里城の城門の特徴である。

門前は城内でも眺めの良いところで、眼前にハンタン山の緑を映す龍潭(りゅうたん)の池や、沖縄県立芸術大学が見える。東には弁財天堂の屋根や円覚寺の総門が続き、遠くに虎瀬山(とらずやま)や弁ヶ嶽(べんがだけ)の丘の緑が遠望できる。

創建年は不明である。明治末期頃に撤去され、1992年(平成4)に復元された。

王府時代、この建物には神社仏閣を管理する「寺社座(じしゃざ)」と、士族の財産をめぐる争いを調停する「大与座(おおくみざ)」という役所が置かれていた。現在は、券売所等に利用されている。




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この時の広福門は外壁の漆の塗り直し作業中。
鮮やかな朱を出すために何層もの下ごしらえが必要なのですね。



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作業中の門をくぐり、いよいよ中枢部に近づいてきました。

ちなみにここまでの区間で「歓会門」「龍樋」「瑞泉門」「漏刻門」「日影台」「供屋」「広福門」にそれぞれ設置されていたスタンプを押印しています。

[3/25+1/2]→[10/25+1/2]

雨の中、傘を差しながら屋外でスタンプを押すというのはかなり手間のかかる作業です。
おまけに背後からは常に団体に追い立てられているし。
雨に濡れるのでパンフレットの類は全てバックにしまい込んでいるので、パンフを見ながらじっくり見学どころの話ではありません。


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Author: KD
由緒ある建造物、急峻な山城、遺構の残っていない平地城館、考証無視の模擬天守、すべて等しく探訪対象。一番好きな瞬間は超マイナーな城館で城址碑や標柱を見つけたとき。
© 2010 城館探訪記

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